活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ジョアン・ロドリゲスが秀吉との仲介を

2011-03-07 15:08:12 | 活版印刷のふるさと紀行
ロドリゲス・ツズのツズは日本語の通辞、通訳を意味します。彼の本名はジョアン・ロドリゲスです。
当時、来日していた宣教師に「ロドリゲス名」がやたら多かったための通称でしょう。
 ヴァリニャーノが天正少年使節の一行を引き連れて、長崎港に着いたのが、1590年7月21日でした。

 彼らが翌年の2月に聚楽第で秀吉の大歓迎を受け、秀吉もインド副王の名代ヴァリニャーノからの贈り物
アラビア馬やミラノ製の甲冑、新型銃に相好を崩していましたが、実は、ここに漕ぎつけるまでが大変
だったのです。

 8年5カ月前少年使節が日本を後にしたときと、キリシタンに対する日本の国情が様変わりしていたし、
もう3年も前に秀吉が「伴天連追放令」を出して、秀吉は旧知のヴァリニャーノがインド副王代理を騙って
いるのではと疑ってさえいたのです。

 そこでロドリゲスに出番が廻ってきたのです。秀吉が名護屋滞在中は名護屋で、伏見にいるときは伏見で
懸命に秀吉を掻き口説いたのです。
 そのころ日本にいる宣教師は秀吉の顔色をうかがって戦戦恐恐としておりました。おそらく渡辺京二さんの
推察どおり、いっぽうでマカオとの貿易続行を願う秀吉の心をロドリゲスは得意の日本語でくすぐったにちが
いありません。

 ロドリゲスはバテレン追放令からは特別扱いで免れていましたが、やがて日本国中に弾圧の嵐が吹きすさぶと
中国へ逃れ、1633年に没しています。    


 
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