活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

奇しくも日本の金属活字印刷が1614年に

2011-03-25 22:41:28 | 活版印刷のふるさと紀行
 “始めの終わり”だなんてはいいませんが、『大蔵一覧集』が始めての駿河版銅活字で
印刷されたのが1614年、その同じ年の11月にひっそりと姿を消して行ったのが日本の
金属活字を使った印刷では先輩格、いや文字通り日本の活版印刷第一号キリシタン版
印刷でした。

 島原半島の先端、加津佐を振り出しに河内浦、長崎と転々と場所を移しながら、キリシタ
ン版を刷り続けた印刷機や活字製造の工具などが、どのようにして日本を脱出させられたの
でしょうか。
 私は自著『活版印刷人ドラードの生涯』には、その時の情景をこんなふうに書きました。
 ≪右近に快く承知してもらって、印刷機は波止場に運ばれ、夜陰に乗じて信者の小船でマ
カオ行きの船に持ち込まれた。鋳型のような小物は南蛮人ばーどれやいるまんの荷物にひと
つずつ潜ませてもらった…≫ 
 右近とは高山右近のことで、同じときにマニラに追われています。
はたして、実際は如何だったでしょうか。

 持ち出しを見逃すとはなんと寛容な、と思われるかも知れません。
 しかし、事実、印刷機はマカオに着いてます。恐らくキリシタンが多く、バテテレンに
同情的だった「長崎」という土地柄と、波止場の警護に当たっていたのも地元の兵士で
ワザと厳しく取り締まらなかったのでしょう。

 それにしてもこれでキリシタン版がらみの印刷技術が根絶やしになったとは思いたくあり
ません。近畿大学の森上 修先生が早くからその後の木活字にキリシタン版の影響を認める
論考を発表しておられることも大変力強いことです。
 こんなことから、私は苦手ですが古活字についても勉強したいものです。




 
コメント
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