活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

嵯峨本の企画は誰がたてたのか

2011-04-04 10:16:37 | 活版印刷のふるさと紀行
 嵯峨本といいましても種類がたくさんあります。学術的には、よく、引き合いに出されるのが近畿大学中央図書館所蔵の『伊勢物語』(慶長13年刊)です。
 ただ、同じ嵯峨本『伊勢物語』といいましても木活字であるために、増刷のつど活字揃えがむずかしいので異版が多いとされています。
 そのほか、嵯峨本としては『徒然草』、『方丈記』、『撰集抄』や『古今集』、あるいは謡本などが知られています。

 それならば、この嵯峨本の出版企画をだれが立てたかです。
 京都嵯峨で出版されたから“嵯峨本”ですが、豪商角倉素庵が出版したから“角倉本”、あるいは本阿弥光悦が造った豪華本だから“光悦本”と呼び名もいろいろです。
 ここで、質問。この嵯峨本、二人のうち、どちらが企画したのでししょう。
 実はこれにも角倉説と本阿弥説とがあります。ややこしいことに俵屋宗達の名前が出て来ることもあります。宗達は置いておいて、私は本阿弥光悦が企画を立て、角倉素庵にカネを出させたと考えます。いかがでしょうか。

 実業人であった角倉がいくら隠居したといっても自分から出版を思いつくはずはなく、本阿弥がつてを頼って豪商で御隠居さんになっていた角倉に協力を依頼したのではないでしょうか。当時としては、角倉の方が社会的地位が高く、財力があるわけですから本阿弥が文化的貢献に一肌脱いでほしいともちかけた。その証拠に出来あがった本は売られることはなく、各界名士に贈り物として配られたといいます。

 一冊の中に40数枚という美しい挿絵、雲母刷りの用紙、それも藤色、草色、黄色、水色、桃色とページによっての色紙の使用、凝った装丁、こうしたことは本阿弥なら自家薬籠中のもの、彼がどうしてもこういう本づくりをしたかったのではないでしょうか。
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