活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

嵯峨本とキリシタン版

2011-04-07 13:15:46 | 活版印刷のふるさと紀行
私は書誌学のような学問にも古活字の製造技術にも疎いのでそちらから嵯峨本について語る資格はありません。
 ただ、何度も言って来たように日本で初めて金属活字を使い幾多の刊行物を世に送ったキリシタン版の印刷技術がまったく痕跡を残さないまま、ドラードたちとともにマカオに追放されたとはどうしても信じられません。

 金属活字ではないものの、嵯峨本のような木活字本にも、キリシタン版の技術が投影されているのではないか、また、前回で触れたようにキリシタン版の印刷に携わった職人が嵯峨本にも関係しているのではないか、と前から想像して来ました。

 うれしかったのは、
かねて神田川大曲塾でも教えを受けたことのある近畿大学の森上 修先生の『日本文化の美と醜』2009年風媒社刊で、いずれにしても、わが国の古活字版は真名本も仮名本も例外なくすべてがキリシタン版の活字組版方式に倣うものであったと言うことができるであろう」と断定しておられるのを目にしたときでした。

 先生は李朝版は活字を蜜蝋などの付着材を使って動かないように固定させる中国に端を発する技法が使われているのに対して、日本の古活字版では付着材を使わないキリシタン版方式が採用されていることも理由の一つに挙げておられました。

 森上先生が調査されたのは大阪樟蔭女子大学図書館像の伝嵯峨本『源氏物語』の「宿木」ですので、あきらかな嵯峨本にあてはめては、私の大ざっぱさがお叱りを受けるかもしれませんが、とにかく、うれしかったのです。

コメント
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