活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

活字はオランダからの輸入活字で

2011-04-21 09:48:05 | 活版印刷のふるさと紀行
 ご当人市川兼恭が≪日本で活版の始め≫と自認した割には印刷史の上では
影が薄いのですが、『レース・ブック』の方は有名です。「オランダわたりの
欧文活字と印刷工具を使ってオランダ語教科書を印刷しただけじゃないか」
と、市川は本木昌造に比べて軽く見られて来たのでしょうか。

 そうはいっても彼は蘭書を読み漁って「活版印刷」を勉強したのでしょうが、
輸入活字では足りない欧文活字を自力で鋳造しているからエライのです。
しかも、それは軟鋼に欧文字を彫り、焼き入れをして父型にして、それを鋼材
に打ち込んでパンチ母型にするというまことに当を得たものだったのです。

 彼には2人の有能な助っ人がいました。
ひとりが時計職人だった山本勘右衛門で活字の鋳造は彼の力に負うところが
大きかったと思われれます。もう一人は榊礼助(令輔)といい、のちに
蕃書調所内の「活字方」を采配するまでのぼりつめました。

 安政から文久に入ると幕府も「活版」の重要性に目をつけ、「蕃書調所」か
ら「洋書調所」そして「開成所」と役所名を変え、英文の辞書をはじめ、印刷
・出版に力を注ぐようになります。

 1858年(安政5)の『レース・ブック』を皮切りに、『ファミリー・メソード』
1861(文久元)・『英和対訳袖珍辞書』1862(文久2)・『英吉利文典』1862
(文久2)・『英吉利単語篇』1866(慶応2)など、続々と世に出ましたが、
欧文はオランダからの輸入活字、印刷機はスタンホープ、写真の『英和対訳
袖珍辞書』の日本文字は整版によるものです。
コメント
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