活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

京の≪はんなり≫が嵯峨本を生んだ

2011-04-09 15:24:57 | 活版印刷のふるさと紀行
 嵯峨本はどこでどのようにしてつくられたのでしょうか。
 時代背景としては戦国時代の終焉、やがて日本の近代化の芽生えといいますか
江戸時代が始まろうとしている時期です。新しいものを孕んだ「胎生」のときが
すぐそこまで来ていた、そんなときではなかったかと思います。

 それでは、嵯峨本のふるさと京はどんなふうだったのでしょうか。 フロイスの
『日本史』にも出てきますが 、やはり、芽生えのときでした。
 たとえば、秀吉は町中の木戸を取り払ったり、それまで、領主のフトコロに入って
いた地子銭(じしせん)を免除したりしました。そのかわり、領主に土地を与える
政策を執ることにしました。

 家康もそのあとをついで京の町の近代化に乗りだしたのです。たまたま、本阿弥
光悦も家康から嵯峨の土地を与えられました。いまの光悦寺のあたりでしょうか。
彼は、そのあたりに工芸分野の職人を集めて一種の芸術村を創ったのです。
 嵯峨本工房もその一画にありました。
 光悦は芸術村以前から蒔絵ですとか西陣織のような染色ですとか、京の職人仕事
を間近かにして、その≪はんなり≫した美しさに耽溺していたのではないでしょうか。

 ≪はんなり≫が嵯峨本を思いつかせ、嵯峨本を生んだと考えるのはいかがのもの
でしょうか。



 
コメント
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