活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

市川兼恭の『レース・ブック』

2011-04-20 08:15:07 | 活版印刷のふるさと紀行



「昌造は、明治八年、五十二歳にて死せしが、活版印刷業の、今日のごとき
盛況におもむけるは、ひとえに昌造の力なればとて、同三十年、活版印刷業者、
あい計りて、大阪にその銅像を建てたり」
 この句読点のバカ多い文章は1910年文部省刊の『高等小学読本七』掲載
の「わが国の活版印刷業の起原」の一部です。

 このような形で教科書で称賛されたせいもあってか本木昌造だけにスポット
ライトが当たってしまいましたが、明治維新前後に「活版印刷」にチャレンジ
した人はたくさんいました。前々回の木村嘉平についで紹介したいのは、蕃書
調所の市川兼恭(かねやす)です。斎宮(いっき)ともいいました。

 蕃書調所というのは洋学の研究所で、所長の古賀謹一郎から「欧文の原書の
印刷を試行してほしい」と依頼されたのが、この市川兼恭で、1857年(安
政4)のことでした。

 ここで興味深いのは市川兼恭は幕府の倉庫に眠っていた1849年(嘉永2)
にオランダ政府から将軍家慶に贈られたスタンホープ型手引活版印刷機と欧文
活字や印刷工具に目をつけたことです。さらに、古賀の紹介で時計職人の山本
勘右衛門の助けを借りて「蘭字活字板」に取り組んだことです。

 その成果が『レース・ブック』で、兼恭は「経歴談」で、
≪私が研究して始めて活版で小さなブックを拵えましたが、是が日本で活版の
始めです≫と胸を張っています。

コメント
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