活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

さくら紀行4 岡崎から奥三河へ

2012-04-12 16:10:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 昨日の菅生川に別れを告げて、きょうの振り出しは奥三河の新城市。

 岡崎は西三河です。豊橋あたりは東三河、その奥、仏法僧で有名な鳳来寺(ほうらいじ)
あたりを奥三河といいます。
 愛知県は昔ふうにいいますと尾張と三河のふたつに今も大別できるのですが、このふたつ、
意外にいまでも風土も気性も違うのです。

 さて、「三河の嵐山」と呼ばれるのが「桜淵公園」、その名の通り、桜と巨岩や鍾乳洞など
の渓谷というか清流の淵が絶好の景勝を形づくっています。
それだけにちょっとこわい吊り橋もあるわけですが、近くの豊川や寒狭川(かんさがわ)で
採れた川魚の屋台や三河鶏のから揚げの方に目を奪われてしまいました。

 奥三河が戦国時代の舞台になったことがあります。例の長篠(ながしの)の合戦です。
織田・徳川の連合軍と武田軍が鉄砲隊と騎馬隊とで長篠城をめぐって激突したあの戦いです。
 映画や舞台にとりあげられた鳥居強右衛門(すねえもん)が活躍したのもこの戦いですし、
その主君、奥平貞昌が勲功から家康の長女亀姫をめとり、新城城を築いたのも有名な話です。

 そういえば、今朝の中日新聞の朝刊に「満開ベール 春の夜を彩る」という見出しで岡崎城
を背にライトアップされた見頃の桜の大きな写真が掲載されていました。さすが、新聞社。
明日は桜まつりのイベントとして「家康行列」があるとか、岡崎と新城の日取りを間違えた感
あり。
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さくら紀行3 五万石でも岡崎様は

2012-04-12 15:06:13 | Weblog
 岡崎の町の真ん中を流れているのが一級河川乙川(おとがわ)です。たしかに
そうかも知れませんが「五万石でも岡崎様はお城下まで船が着く」、あの岡崎城の
下まで舟で行けた川の名前は土地っ子には菅生川(すごうがわ)として親しまれて
来たはずです。その証拠に家康の産土神の菅生神社が川っぷちにあります。
 そしてこの川こそ、もうちょっと下流では、幼い日の秀吉(日吉丸)が蜂須賀小六
に拾われた矢作川(やはぎがわ)に名前を変えるのです。

 岡崎は多少知っているつもりなので、こんな川の名前の講釈から始めてすいません。
薄暮の中を桜の名所岡崎公園の隣のグランドホテルにチェックインしました。
 
 ホテルの前の道は桜が満開、ちょっと先の堤防の砂州から公園まで屋台のテントが
延々とつづいています。
 ホテルの窓からはライトアップされた岡崎城がくっきり白い天主閣を夜空に浮かべ
ておりましたが、夜桜見物に入って行った公園の中では花枝を伸ばした桜やほかの樹
がじゃまして城が見えません。

 夜桜といっても酔っ払いや底抜けの喧噪が伝わって来ませんでした。おとなしい花見
客です。岡崎という町は今川や織田に囚われの身になっていた家康をひたすら忍従とい
った形で待ち続けた先祖の生真面目さ、我慢強さ、悪く言えば覇気のなさが今に伝わっ
ているのでしょうか。 東海道線も新幹線も町中を走らせなかった、人口や経済力でも
豊田市や一宮市に追い抜かれてしまった岡崎の大人しさに少し歯がゆい思いをした夜で
した。
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