今日は何色?

保護猫、ななも6歳。
大人になり落ち着いてきましたけど、まだまだ遊ぶの大好きです。

親友と連絡が取れました。

2011-03-31 19:26:20 | ひとりごと

つい最近、中学校時代の親友と連絡が取れました。

被災地の沿岸からは離れているので、沿岸のような津波の被害はありませんでしたが、

震度が大きかったので心配でした。

 

すぐに連絡を取りたかったのだけど、やっぱり薄情な私。

今では年賀状のやりとりしかしてなくて、住所以外わかりません。

いや、分かっていたんです、数年前まで。

 

メールアドレスも携帯もわかっていたのだけど、タイに行くときに日本の携帯は解約。

携帯そのものはバンコクにも持って行っていったし、帰国のときにももちろん、

持ち帰りました。

 

ところが、今回いざ連絡を取ろうと思って古い携帯を探しましたが、どこを探しても

見つからないんす。

多分、見つかったとしても充電器もどこへ行ったかわからないので電源が

入れられたかどうかもわかりません。

 

パソコンにデータを入れたはず!

と思ったけど、バンコクでPCが壊れちゃったときなのか、帰国して必要ないと思って

削除しちゃったのか、データがないのです。

 

はあ・・・。

やっぱり手書きで残すべきだった・・・。と思いましたが、

そうだ!年賀状がある、たしか写真つきのアドレス付きじゃなかったっけ???

と思い、今年の年賀状を見ると・・・

住所のみ

 

困った・・・困ったよ~

あ!

親友のご実家はご商売をされています。

何度もご実家には遊びに行ったし、転勤でこの地を離れた後も

泊まりに行ったりしました。

 

ですから、ご実家のご住所に屋号は大体覚えています。

ネットバンザイ!

ご実家の電話番号がわかりました。

 

でも・・・今かけたらまだバタバタしてるよなあ・・・。

ご商売内容からみたら多分忙しくしてるよなあ・・・。

突然電話したら絶対怪しまれるなあ・・・。

お父さんが出たら話がきっとなかなか通じないだろうなあ・・・。

お母さんが出てくれたらいいなあ・・・。

などなどいろんなことを考えて電話がなかなかできません。

 

なので、もう一度何かないかよくよくよーくよーーーーーーーく探すと、

かなり前の年賀状が出てきてそこに電話番号とPCアドレスが書いてありました。

 

とりあえずメールをしてみました。

メールを見る暇があるかどうかわからないし、ネットが繋がってるかもわからないので、

1週間待っても返事がなかったら電話してみようと。

でも3日目くらいから「やっぱり電話しようかな・・・」と思ったりして。

いやいや、もうちょっと待ってみよう。仕事に復帰して忙しいかもしれないし。

などなど考えていたら火曜日、携帯にメールがありました。

 

もう、すぐ電話しましたよ。

話をしたのはいつ以来だろう?5年くらい前かな。

 

地震の影響はやっぱりあったそうで、3日ほど停電したそうです。

でももう仕事にも出ていて、普段の生活に戻りつつあるそう。

でもやっぱりガソリンがないということで、地方にとってはとても大変な状態は

続いてるようです。

雪もまだ降ったりして、積もっていると。

「どうしてこんな苦痛ばかり与えるんだろう」と話していました。

私も思います。

 

 

久しぶりに話をしてお互い思ったことは

「もっと連絡とっておけばよかったね」と。

 

私は転勤で動くたび、ありがたいことに新しい友達ができます。

そうなると1,2年は以前住んでいたところのお友達と連絡を取っていたのですが、

だんだんに疎遠になっていきました。

転勤先から以前のところに遊びに行くととても楽しいけど、それは一瞬のことで、

すぐ戻らなくちゃなりません。

親にお願いして切符を買ってもらって遊びに行く子供の立場では、「また来るね」

とか「また行きたい」とは簡単に言えませんし、別れるときがホントに嫌で、

遊びに行こうとか連絡取ろうとか思わなくなっちゃったんです。

 

自分で働いて遊びに行けるようになると、もうそのときにはそのときで、

ありがたいことに友達もいるし、わざわざ遠くまで行こうとは

思えなくなっていて。

薄情なものです。

 

 

親友、今でも親友と呼んでいいのかちょっとわかりませんが、

話すとやっぱり親友なのかなあと感じます。

元気でよかったし、いつか再会できる日がくるといいなあと思います。

 

今回の地震で安否確認した友達、私の実家を心配してくれて連絡くれた

友達は大人になってからの友達。

「実家に帰るときは連絡するね」と言いながらなかなか連絡できてなかった友達ばかり。

1人、しなくちゃと思ってしてなかった友達からは、

こちらで震度6を観測した地震があった翌朝、安否確認のメールが届きました。

「昨日、あなたが夢に出てきたの。起きてテレビ見たらそっちで大きな地震があったから

嫌な予感がして」と。

 

ごめんなさい、私はあなたのおうちが、実家から近かったし、

実家近辺の被害がほとんどなかったから、大丈夫だろうと思い込んで、

連絡をしませんでした。

でもあなたは震源から離れてる場所に住んでる私を心配してくれた。

本当にありがとう。

私が思っている以上に、私を大切に思ってくれていた友達に申し訳ない気持ちになりました。

 

大きな地震は、親兄弟、親戚、友達etc・・・人と人とのつながりの大切さを教えてくれました。

いなくなってからでは遅い。

離れていても大事に大事にしたい、そう思いました。

 

 

 


くせになっちゃったのかも。

2011-03-30 16:05:48 | ひとりごと

地震があってから普段の事を書く気持ちになかなかなれずにいましたが、

普段の生活をしているのだから書けることは書いていこうと思います。

ブログは残しておきたい「日記」なので。

 

 

我が家の旦那さん、3月上旬に腰を痛めました。

私は腰痛持ちですが、旦那さんは腰痛とはあまり縁がありません。

でも、デスクワークで「腰が痛いなあ」という事はたまにあって。

私のような腰痛持ちとは違うので、疲れただけだろうなといつも思っていました。多分旦那さんも。

 

そんな旦那さん、私が土日に仕事のときがありまして、そういう時は掃除機だけをお願い

しています。

旦那さん、いつものように掃除機をかけていたようですが、ちょっと物を動かそうとしたときに

やってしまったようです。

 

重たい物を持ったわけじゃないみたいです。

ただ姿勢が悪かったのでしょう。

私が帰ってきたら動けなくなっていました。

 

翌朝、早々に私がお世話になった接骨院に電話を入れて旦那さんを連れて行きました。

診断は「軽いギックリ腰」

 

軽くてホントによかったです。

この腰に関してはせっせと接骨院通いをしたおかげで1週間ほどでほとんどよくなりました。

ところが、今度は「肩が痛い」と言い出したのです。

うーん肩??寝方が悪かったのかよくわかりません。

痛かったり痛くなかったりだったようで、あまり気にしてもいなかったのですが、

せっかくなので腰を診てもらう時に一緒にみてもらったら

「脱臼」

と言われたそうです

 

脱臼??

見た目にはあまりわからないので軽い脱臼だったようです。

 

ただ・・・。

昨日も痛い痛いと言っていて、ちょっと引っ張っていたらはまったらしいのです。

どうやら、痛いときは外れていて、はまったら痛みは緩和されるようで・・・。

これって癖になってるってことですよねえ?

 

ちょっと困ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やっと繋がった電話

2011-03-17 16:16:27 | ひとりごと

私事ですが、昨日兄と電話が繋がりました。

地震発生後、全く電話は繋がらず、災害用電話になっていました。

それが昨日のお昼ごろに呼び出しになったのです。

繋がらないと思ってかけたのでものすごく驚きました。

 

実は私たち、結構薄情な兄妹でして、お互いの携帯番号&アドレスを知らないのです。

便りが無いのはいい便り~じゃないけど、母を介して近況を聞く程度でして。

ここ何年、私が日本にいなかったこともあるけど、簡単に会える距離じゃないし、会わなくても

困らなければ話をしなくても困らないのです。

 

きっと「ありえない」と思う方、いると思います。

そんな薄い薄い兄妹なのです。

 

私は地震後、母から兄の電話番号を聞いてかけましたから、

兄は「誰だこれ?」と思ったに違いありません。

なので、電話に出てくれませんでした。

あ、出られなかったのかもしれませんが。

 

呼び出しの後に留守番電話に繋がりましたからメッセージを入れると、

しばらくして兄から電話が。

 

私は仕事中で出られないときだったので、その後折り返してやっと話をすることができました。

 

無事なのは分かっていたけど、声を聞くまでは安心できませんでしたから、ホントに

嬉しかったです。

でも、話している最中にも余震があって、電話の後ろで姪たちの「怖い~」という声が。

 

とても怖かったはずです。

姪たちに「大丈夫」と声をかける兄。

そして私にも「そっちでも地震があっただろ?大丈夫なのか?」と。

こちらの地域でちょっと大きな地震があったので、それを知って私の心配も。

それから「おふくろは大丈夫か?」と。

実家については「私が毎日連絡を取っているし、足りないものも送ったから心配いらない」と

伝えました。

 

こんな時に一家の大黒柱として家族を守るのはもちろんですが、母や妹の心配まで

してくれる兄。とても大きく強く感じました。

 

仕事中だったこともあり、あまり話はできませんでしたが、「とても心配だった」と伝えると

「酷かったからな・・・」と。

映像でしか私たちは見ることができませんが、兄の声で現地は私の想像以上だったことが感じられ

ました。

 

大変だと思うからしばらくはこちらからの連絡はしません。

きっと何かあれば兄から連絡が来ると思いますし、

今は何を話していいのか正直わかりませんし。

 

兄から何か要望があったときにはやれることをしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


今できることを。

2011-03-15 15:52:13 | ひとりごと

私の思い出の地が被害を受けた今回の地震。

知っている地名がたくさん出てきて、そのたびにその当時のことが思い出されます。

私が住んでいたところは駅に近かったので津波の被害はなかったと思います。

でも、今朝仙台駅の新幹線ホームの姿を見たときの衝撃はかなり大きいものでした。

あの当時の友人たちは皆どうしているだろう。

私は父の会社の社宅に住んでいて、通っていた小学校は半数以上がその会社に勤める

社員の子供でした。

なので、日が経てば父を介して安否が分かるかもしれません。

どうかみんな無事でいて欲しい。

 

そして身内も避難しています。

地震の日、一度だけ「無事だ」という連絡を受けて以来、

全く連絡が取れなかった兄一家。

今日のお昼頃になって、避難している兄一家が、電気が復旧したというので家に

戻ったと連絡がありました。

これは母に義姉からメールがあり知ることができたのですが、やっぱり電話は

通じないそうです。

私も、電気が通ったなら充電の問題は回避されたと思って兄に電話してみたけど

やっぱり通じません。

なので詳しいことはわかりません。

家に帰れば家族だけなのでよく眠れるようになるかもしれません。でも、食料やお水などが

やっぱり足りませんから、そういう意味では避難所にいた方が良いのかもしれないかも・・・。

 

実家はというと、父は間引き運転の中、何とか会社に向かって、帰りも普段よりも時間をかなり

かけて満員電車で帰ってきているようです。

どこの会社も同じだと思いますが、私の父の会社も今回の被災地各所に営業所があるので、

いろいろと大変なようです。

 

実家は今日から輪番停電のようです。

節電のため、昨日からインターネットを控え、調べられるものは私が調べています。

実家のグループがどこに入っているのか?実家付近の開いているスーパーなどなど・・・。

そんな実家から私にHELPがありました。

「お米送って・・・あれば単1電池も」

定期販売で購入している実家でしたが、それが今回無理になったということでした。

買いに行ってもない状態。

そして電池。

残念ながら電池は私の住んでいる地域でもみなさん慌てて購入に走ったらしく単1はありませんでした。

我が家にもストックはなかったので送ることはできませんでした。

本当は豆腐とかそういうのも欲しいと言うけど、さすがに生鮮食品を送るのは難しいので

あとは食パンとうちにあったおやつなどを入れました。

パンは焼いて送ってあげたかったけど時間がなかったので購入。

箱のスペースも空いていたので、短時間で焼けるクッキーを入れました。

 

実家には物を送ることができますが、被災地には送ることはできません。

今できることは、募金しかないのです。

ヤフーポイントがそのまま募金になるというので、早速募金しました。

そして、登録しているアンケートサイトで、チャリティーアンケートがあったので回答しました。

 

通っているパン教室でも募金箱を設置したそう。

いろんなところで、そういう活動が始まっているので、出来る限り協力したいと思います。

 

 


大きな大きな地震

2011-03-11 23:17:14 | ひとりごと

今日は本当に大きな大きな地震がありました。

 

私の住む地域も揺れました。

ちょうど地震があった時間は、実家の母とスカイプで話している最中でした。

 

母が「地震だ」と言ったときは、まあ千葉県は地震が結構普通にあるから

いつものことだろうと思っていました。

ところが、結構大きくなっていてスカイプの粗い画像からも揺れの大きさが見えました。

音を立てて揺れていました。

 

テレビの画面は民放で唯一生放送をしていた日本テレビ。

「ミヤネ屋」は大阪の番組だったけど、東京の日本テレビと中継が繋がって、スタジオが揺れているのが

わかります。

そうこうしているうちに、ここも揺れ始めました。

震度はそんなに大きくないけど、とにかく横にどんぶらこ~みたいな、大きなゆっくりした

横揺れです。そして長い。いつになったら止まるのか、止まったけど私が揺れているのか?

よく分からない気持ちの悪い、怖い揺れでした。

テレビでは大阪でも揺れていました。

 

最初の時間から間もなく、実家ではまた大きな揺れ。

その地震も、時間差で私のいるところへ。

とても怖かったです。

 

ここの揺れよりも、東北はとんでもないことになっています。

私が小学生時代を過ごした仙台、中学校時代を過ごした盛岡、ものすごいです。

連絡取っている友達は数少ないけど、みんな大丈夫なのでしょうか?

 

そして、私の兄一家は宮城県に住んでいます。

なかなか連絡が取れませんでしたが、家族全員無事で小学校に避難しているとのこと。

父とも連絡がついたと母。

父は東京の会社から帰れず今日は会社に1泊するとのこと。

 

こちらで仲良くしている友達の実家が、津波の被害が出ている地域で、そちらとも

連絡はまだ取れてないと。

 

心配はつきません。

 

 

友達からの心配メールは、随分遅れて届いています。

それに返事をしましたが、なかなか届いてないようです。

携帯が繋がらないから、ブログに心配のコメントしてくれた直実さん、こちらは大丈夫です。

 

ブログ友達のmaydayさん、大丈夫でしょうか?

地元の友達、みんな大丈夫でしょうか?

とても心配です。