本屋さんで立ち読みをしていると、ふいにこんな会話が聞こえてきました。
「ずっと派遣で働いていたので友達いないんですよ。ネットの知り合いばかりで…」
……どういう流れでそんなセリフが?
どうやら男の人が女の人に対して話しているようなのですが、前後の会話がまったく想像できなくて、しばらく呆然と立ち尽くしてしまいました。
何を訊かれたらそういう答えになるの?
というか、じゃあ今話しているのは誰?
世の中には、いろいろな立場、境遇の人がいますよね。
コンビニで、携帯でしきりに商品の説明をしては、どれを買うのか電話の向こうの奥さん(彼女?)に選んでもらっている若い兄ちゃん。
どれでもいいよ、こっちがわざわざ買いに来ているんだから文句なんか言わすな!!
と、その姿を見ていると全然関係ないくせに、つい無責任にたきつけたくなってしまいます(苦笑)
ずっと派遣で友達もいないという彼のいた本屋さんで立ち読みしていたのは、小川洋子さんの、
『最果てアーケード』(講談社)
ともすると通り過ぎてしまいそうな小さなアーケード。
そこに並ぶのは、やっているのかどうかもわからないほど、目立たない小さなお店たち。
そんなアーケードの突き当たりに、小さな中庭があり、本棚のある休憩所がある。
そこには、犬を連れた女性が一人…
愛するものを失った人々が、想い出を買いにくる、世界で一番小さなアーケード。
酒井駒子さんの表紙が素敵だったのと、小川洋子さんの本ということで前から気になっていたんですよね。
いくつかのお話があるのですが、私は「百科事典少女」というお話が一番好きかな。
見えないウサギの義眼を探している「兎夫人」も雰囲気は好きです。
「人さらいの時計」という言葉には、内容ではなくその言葉自体に惹かれました。
ちょうど最近見た『グスコーブドリの伝記』というアニメ映画でも、「人さらい」が幻想的に描かれていたんですよね。
ここではない世界に連れて行ってしまう怖い存在…
子供の頃には、確かにそんな存在を感じていました。
それは夜更かしをしたり、言うことをきかない悪い子を連れて行く存在だったり、デパートやお祭りで親の手を離すと、どこからともなく現れる大きな大人だったり、いつもどこか物陰に隠れて、子供たちが油断するのをジッと待っている黒い影だったり、どこか良心に対する警報のような存在としてとらえていたのかも知れません。
昔話によく出てくる魔女ややまんば、子供をさらって食べてしまう怖い存在。
専門的には親が植えつけた罪悪感の反映だとか、いろいろ理屈はつけられるでしょうが、小川洋子さんの作品には、どこかそんな子供の頃の記憶に呼びかけてくるところがあるんですよね~
いまの時代、子供たちは何が怖いのかな?
ラスト「あれ?」と思わせる描写も、後を引く感じで余韻があってなかなか良かったです♪
実は私も百科事典は大好き!
家に訪問販売の人から買った大きな百科事典があって、オールカラーでとても立派なものがそろっていたんです。
よくページをめくっては、大砲だとか、お城だとか、巻末についている絵画だとかをながめていました。
お小遣いで自分の本を買えるようになるまででしたけどね。