「赤毛のアン」の作者、ルーシー・モード・モンゴメリの初期の作品。
『果樹園のセレナーデ』(新潮文庫)
を読みました。
出版されたのは「赤毛のアン」の後ですが、書かれたのは「赤毛のアン」の前。
そう思って読むと、「アン」との対比が面白く、作者の成長がうかがえる貴重な作品。
現在絶版で手に入りにくいのが非常に残念です。
角川文庫さんが新訳で出版してくれないかな?
まずはヒロインのキルメニイ。
作者はこの名前を有名な詩からとったそうですが、まず字面がとっても読みにくかった。
物語後半になれば、慣れてくるのでどんな名前でもOKなんですが、ちょっと印象に残りにくい名前という印象。
どこにでもある「アン」という自分の名前に想像力がかきたてられず、「おわりにeのつくアン(Anne)」と強調するアン・シャーリーとは対極にあるような名前です。
名前は平凡でも、「赤毛のアン」を読めば、アンの名前は強烈に印象に残ります。
しかもこのキルメニイ、ある障害を持っているため、男性とほとんど接したことがなく、免疫がないので逆に男性に好意を寄せることに何の抵抗も持っていないのです。
自分を守らない。
顔を見れば素直に嬉しさを表現し、好きなら好きという。その人に自分を好きになって欲しいと思えば、あなたに好きになって欲しいからこうするの、と相手にそのまま伝えてしまうのです。
無垢な子供のような(現実でそんな子供見たことないけど…)少女というか、男性に対しては白痴だとでもいうか、そんなヒロインに「恋」や「愛」を教えようと主人公が奮闘するという、ある意味よくある、そして物語になりやすい特殊な設定で物語が進んでいく。
モンゴメリの後出のヒロインたち、「アン」も「エミリー」も「パット」も、想像力が旺盛だったり、物を書くことが生きることと同義だったり、愛する木や家に非常な愛着を感じる鋭い感性の持ち主だったりはしましたが、みんなプリンス・エドワード島で普通に暮らしている島の女でした。
キルメニイは違います。
森に隠され、果樹園でバイオリンを弾く、まさに王子様の登場を待つ物語のヒロイン。
学生時代には仲の良かった友達と三人で、お話クラブのような物を作り、自分の創作した物語を披露していたモンゴメリ。
この『果樹園のセレナーデ』には、そうした「古典の模倣」のような、どこか「ウケ」を狙ったところが垣間見えるのです。
かといって、物語がつまらないかといえば、そうではないのがさすがモンゴメリ!!
まわる運命の歯車。
母親の呪縛。
過去の因縁。
若き二人はその障害を乗り越え、はたして無事に結ばれるのか?
蜘蛛の巣のように張り巡らされた伏線…とはいえないまでも、毛糸くらいには伏線も張られていて、収まるところにキレイに収まるのも、優等生っぽくていかにも処女作という感じ(苦笑)
日常を観察し、生き生きと周りの人々を描き出す自分の才能にまだ気が付いていない、いわゆる「物語」を書いているモンゴメリ。
後半にはその片鱗が早くも見られて、どんどん物語りに引き込まれてしまいました☆
(以上、あくまで個人的な感想です)
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