1月中は体調不良で外出も思うようにならず
人ごみに行くのも用心してさけていました。
体力にも自信がなかったのですね。
だから日展も見に行かず。
そして「ゴッホとゴウギャン展」もチケットだめにしてしまった。
(ゴッホもゴウギャンもたいていの作品は見ているからということもありますが)
「ユトリロ回顧展」もいよいよ最終日が迫ってきた、
最終の日曜日は込み合いますので土曜日でかけました。
ユトリロ回顧展です。
ユトリロ(1883~1955)は印象派の後
エコールド・パリという絵画の時代の代表にといわれています。
日本人のレオナール藤田をはじめとする多くの外国人がのびのびとした生き生きとした絵画の時代を築きました。
日本でもこの時代のフアンはおおいですね
パリに行かれるとモンマルトルの丘は画家がいろいろ集まって似顔絵を描いたり、絵を売ったりしてますね
ユトリロはその頃から、また絶頂期の寵児だったんですね
今でもユトリロの絵をまねして描いて売ってる人も見かけますよ
彼は、それくらいこのあたりの風景画を描きつづけたんですよ
彼は一生こういう同じような絵を描き続けたと。
それもアトリエでアル中の治療のために描かされていたときいていました。
彼の母親自身もルノアールなどのモデルから、画家であり、恋多き女性だったとか。
ユトリロより三歳下の友人と恋に落ち何回目かの結婚をしましたことでもわかりますね。
母は18歳のときに私生児のユトリロを生み
お定まりの子供の面倒を見なくて、おばあさんに任せた。
しかもおばあさんもアル中だったとか
ユトリロも10歳に満たないときにもうアルコール中毒だったということです。
彼は一生アルコール中毒でいろいろ問題を起こして精神病院を出たりはいったりしていました。
私もフランスに住んでいたとき、ほんの子供にぶどう酒を飲ませてるのを目撃したことがあります
ぶどう酒はキリスト様の血であるから洗礼のときにも飲ませるとか
フランスの水は硬水で、とても質が悪く生水を飲みません
そういう関係もあるのかなと思うのですが・・
評判の評価された絵をリハビリと金のためにかきつづけたんですね。
ですから、私は彼を絵葉書作家のように感じていました。
余り彼の価値を認めていなかったんですね。
今回彼のたくさんの作品を見て
私が間違っていたときがつきました。
私はここ十年くらい風景画の先生について勉強してます。
風景画というのはありのまま描くのでは絵にならないのです
きちんとした風景が独特の構図セオリーがあるのですね
私が学んできた風景画の構図をきちんと踏まえた作品ということに気がつきました
建物を描くのにも独特の緊張感のある線を描かないと生き物になってしまう
そのところも実にすごい直線になっているのですね
どの風景画を見てもそうです。
芸大の日本画科の生徒は基本のフリーハンドで同じ太さの直線をまっすぐ引けるようになるまですごい稽古をすると聞いています
やっぱり、すごいなあって改めてみた絵画展でした
時代を超えて愛される画科の一人ですね
やっぱり彼は天才だったんだと改めて思うのですよ
読んでくださってありがとう