永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(518)

2009年10月02日 | Weblog
 09.10/2   518回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(72)

「六条の院にも、いと口惜しきわざなりと思しおどろきて、御とぶらひに度々ねんごろに、父大臣にも聞こえ給ふ。大将は、ましていとよき御中なれば、気近くものし給ひつつ、いみじく歎きありき給ふ」
――源氏も柏木の重体の様子をお聞きになって、「まことに残念なことだ」とお驚きになって、たびたび父大臣に、こまやかなお見舞いをなさる。ましてや夕霧は、普段から大の親友でいらっしゃいますので、お見舞いも度々に、病床近くにいてはひどく侘しい気持ちでお世話なさっておられます――

 朱雀院の御賀が十二月二十五日と決まりました。

「かかる時のやむごとなき上達部の、重く患ひ給ふに、親兄弟あまたの人々、さるたかき御中らひの歎きしをれ給へる頃ほひにて、ものすさまじきやうなれど、(……)女宮の御心のうちをぞ、いとほしく思ひ聞こえさせ給ふ。」
――柏木のような当代の重い御役の公卿が重態になられて、親兄弟はじめ多くの人々が悲嘆にくれておいでの時で、どうも引き立たないところがあるものの、(今までも毎月差支えが生じて困っており、これ以上そのままにもできず、源氏としてはご中止にすることもできません)源氏は、御賀の主催者である女三宮のお心の内は、柏木の重病をお聞きになって、どのようなお気持であろうかと、お気の毒に思っていらっしゃるのでした――

「例の五十寺の御誦経、またかのおはします御寺にも、摩訶毘廬遮那の。」
――例のように五十寺の御誦経、また朱雀院のおいでになるお寺にも、摩訶毘廬遮那(まかびるさな)のご供養を申しました。――

◆五十寺の御誦経=五十歳のお祝いなので、五十の寺で延命の誦経をおこなう。

◆摩訶毘廬遮那(まかびるさな、まかびるしゃな)=摩訶は大の意。毘廬遮那仏は華厳宗の本尊。身光、智光が天地万物をあまねく照らすという仏。密教では大日如来。

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 終わり。

ではまた。