09.10/4 520回
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(2)
柏木の煩悶はつづきます。
「せめてながらへば、自づからあるまじき名をも立ち、われも人も安からぬみだれ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おい給へらむあたりにも、さりとも思しゆるいてむかし(……)」
――無理に長生きをすれば、自然悪い浮名も立てられ、自分にも宮にも厄介な煩悶が生じもしよう故、それよりはいっそ死んでしまったなら、無礼な奴とお憎しみになっておられる源氏も、何とかお許しくださるであろう(臨終の際には、煩いごと一切が帳消しになってしまうものだ。他には特に失態もなく、長年、催し事には親しくしてくださったように、源氏の同情もいただけよう)――
などと、所在なさに思い続けますものの、考えれば考えるほど味気なさがますばかりです。
なぜこうも世間を狭くしてしまったのかと、柏木は胸も塞がる思いで、枕も浮くに違いない位、やり場のない涙を流しておいででしたが、小康を得たようだと看護の人々が退いた間に、かの、女三宮にお手紙をお書きになります。
「今は限りになりにて侍る有様は、自づから聞し召すやうも侍らむを、如何なりぬるとだに、御耳とどめさせ給はぬも、道理なれどいと憂くも侍るかな」
――私の命も、今日明日というほどになってしまったことは、自然と噂にもお聞きになっていらっしゃるでしょうに、「如何ですか」とさえ、お心にかけてくださらないのは、当然かも知れませんが、ひどく情けなく辛いのです――
と、申し上げるにも手がわなわなと病気のために震えて、思うようにお書きになれません。歌に、
「今はとてもえむ煙もむすぼほれ絶えぬおもひのなほや残らむ」
――私を焼く火葬の煙がくすぶって、あなたを恋慕う思いだけはいつまでも後にのこるでしょう――
せめて可哀そうだと、一言おっしゃってください。そのことを心に鎮めてあの世の旅路への光ともしましょう、と添えられました。
◆なめし=失礼だ。無作法だ。
◆心おい給へらむあたり=心置い=執着していらっしゃるご様子
ではまた。
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(2)
柏木の煩悶はつづきます。
「せめてながらへば、自づからあるまじき名をも立ち、われも人も安からぬみだれ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おい給へらむあたりにも、さりとも思しゆるいてむかし(……)」
――無理に長生きをすれば、自然悪い浮名も立てられ、自分にも宮にも厄介な煩悶が生じもしよう故、それよりはいっそ死んでしまったなら、無礼な奴とお憎しみになっておられる源氏も、何とかお許しくださるであろう(臨終の際には、煩いごと一切が帳消しになってしまうものだ。他には特に失態もなく、長年、催し事には親しくしてくださったように、源氏の同情もいただけよう)――
などと、所在なさに思い続けますものの、考えれば考えるほど味気なさがますばかりです。
なぜこうも世間を狭くしてしまったのかと、柏木は胸も塞がる思いで、枕も浮くに違いない位、やり場のない涙を流しておいででしたが、小康を得たようだと看護の人々が退いた間に、かの、女三宮にお手紙をお書きになります。
「今は限りになりにて侍る有様は、自づから聞し召すやうも侍らむを、如何なりぬるとだに、御耳とどめさせ給はぬも、道理なれどいと憂くも侍るかな」
――私の命も、今日明日というほどになってしまったことは、自然と噂にもお聞きになっていらっしゃるでしょうに、「如何ですか」とさえ、お心にかけてくださらないのは、当然かも知れませんが、ひどく情けなく辛いのです――
と、申し上げるにも手がわなわなと病気のために震えて、思うようにお書きになれません。歌に、
「今はとてもえむ煙もむすぼほれ絶えぬおもひのなほや残らむ」
――私を焼く火葬の煙がくすぶって、あなたを恋慕う思いだけはいつまでも後にのこるでしょう――
せめて可哀そうだと、一言おっしゃってください。そのことを心に鎮めてあの世の旅路への光ともしましょう、と添えられました。
◆なめし=失礼だ。無作法だ。
◆心おい給へらむあたり=心置い=執着していらっしゃるご様子
ではまた。