永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(538)

2009年10月22日 | Weblog
09.10/22   538回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(20)

 柏木のお話がつづきます。

「大方の歎きをばさるものにて、また心の中に思ひ給へ乱るる事の侍るを、かかる今はのきざみにて、何かは漏らすべきと思ひ侍れど、なほ忍び難きことを、誰にかは憂へ侍らむ」
――そんな大方の歎きはそれとして、心の中に思いあぐねることがありまして、このような臨終の間際に口を滑らせては仕方がないとは思いますものの、それでもこの堪え難い苦しみを、あなた以外に誰に訴えましょう――

「六条の院にいささかなる事の違目ありて、月頃心のうちに、かしこまり申すことなむ侍りしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病ひづきぬとおぼえはべしに、召しありて…」
――(実は)源氏の君に対して、少々都合の悪いことが生じまして、長らく心の中でお詫び申すことがあったのですが、それがひどく不本意で、世の中が心細く思うようになりまして、そのために病になったと思っております。そんなときに、源氏の君からお召しいただきまして――

「院の御賀の、楽所の試みに日に参りて、御気色を賜りしに、なほゆるされぬ御心ばへあるさまに、御目尻を見奉り侍りて、いとど世にながらへむ事もはばかり多う覚えなり侍りて、あぢきなう思う給へしに、心のさわぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。」
――朱雀院の御賀の奏楽所の試楽の折に、六条院に参上いたしまして、ご機嫌をお伺いいたしましたところ、御目の睨みで、まだお許しくださらないことが分かりまして、一層生き長らえるには憚られることと身に沁みて、侘しく思っておりましたら、急に気分が悪くなりだして、この通り治らなくなってしまったのです――

「人数には思し入れざりけめど、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心の侍りしを、いかなる讒言などのありけるにかと、これなむこの世の憂へにて残り侍るべければ、論無うかの後の世の妨げにもやと思ひ給ふるを、事のついで侍らば、御耳とどめて、よろしうあきらめ申させ給へ。亡からむ後にも、この勘事ゆるされたらむなむ、御徳に侍るべき」
――(源氏の君は)私のことなど、一人前とも思っておられなかったでしょうが、私は幼時から深くご信頼申しておりましたので、どのような讒言(ざんげん=人を陥れるため、事実を曲げ、又は偽って目上の人にその人の悪口を言うこと)などがあったのかと、これだけが今生の恨みとして残るでしょうから、無論、後の世の妨げになりはしないかと思うのですよ。もしも何かのついでがありましたなら、憶えておいてくださって、よろしくご弁解申してください。死後にでもこのご勘気がゆるされましたなら、あなたのお陰だと感謝しましょう――

◆今はのきざみ=臨終の際
◆違目(たがいめ)= 行き違い、
◆御目尻(おんまじり)=御目元の様子、にらみ。 
◆論無う(ろのう)=無論のこと
◆勘事(こうじ)=ご勘気。お怒りのこと。

ではまた。