永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(542)

2009年10月26日 | Weblog
09.10/26   542回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(24)

 五十日のお祝いに、この若君に餅をご用意する女房たちが、母君が尼姿ですので、どうしたら良いかと困っているところに、源氏がお出でになって、

「何か。女にものし給はばこそ、同じ筋にて、いまいましくもあらめ」
――何の、気にすることはない。女の子なら、同性の母親が尼では不吉だということもあろうが、――

 と、おっしゃって、南側に小さい御座を設えて、餅を参らせられます。乳母たちは華やかに装って、若君の前に据えられたご馳走のきれいに飾って盛ってありますのを、盛んに頂戴しています。若君の秘密など知りませんので無理もないことですが、源氏は、何とも言えない空しい気持ちで見ていらっしゃいます。(この子の実父は、喪中であるというのに…)

 女三宮も尼姿でお出でになりましたが、そのお姿は以前よりももっとお痩せになっていて、尼姿がぴったりしない感じで、恥ずかしそうにしておられるご様子は、可愛い子供のようでいらっしゃる。

 几帳を押しやって入って来られた源氏は、

「いで、あな心憂。墨染こそなほいとうたて、目もくるる色なりけれ。かやうにても見奉る事は絶ゆまじきぞかしと、思ひなぐさめ侍れど、旧り難う理なき心地する涙の人わろさを、いとかう、思ひ棄てられ奉る身の咎に思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜しうなむ。(……)」
――ああ、本当に侘しい。墨染の色はやはり陰気な、目も昏むような色ですね。お姿がこのようにおなりになっても、この世ではお逢いつづけることのできるのは有難いことと思いますが、相も変わらず切ない思いに涙ばかり流しておりますよ。こんな風に棄てられましたわが身の至らなさを思い諦めてはいますけれども、さまざまに胸が痛み口惜しくてなりません。(取り返しのつくことなら……と思いますが)――

 源氏は薫をご覧になり、若宮にお仕えする人たちをお召しになって、心得を申しつけになります。

「御乳母たちは、やむごとなくめやすき限りあまた侍ふ」
――薫の乳母たちは相当の身分で器量も悪くない人ばかりが大勢仕えております――

◆写真:華やいでいる乳母たち。貴族の御子には複数の乳母がいて、乳が充分足るようにした。 風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(五十日の祝い)

2009年10月26日 | Weblog
五十日(いか)の祝い

●祝いの餅
 儀式の中心は赤ん坊の口に餅を含ませることで、その餅は市(いち)で調達するのが通例だったようです。月の前半は東の市で、後半は西の市で整えたとされます。五十日に合わせて50個の餅を用意しました。

 生後50日の赤ん坊が実際に食べる訳ではありませんが、祝の食膳も用意しました。儀式の参列者やお祝いを寄せてくれた人々へのご祝儀として、籠物や折櫃・檜破子なども用意されました。これらも50個に数を揃えたようです。

 古来、日本人には「稲霊(いなだま)信仰」と呼ばれる米に対する信仰がありました。1粒の種籾から多くの実を結ぶ生命力から、米粒には神の力が宿ると考えたもので、特に餅は稲霊の形を象ったものとされています。稲霊を食すことで、その生命力を体内に取り入れ、自らの生命力を強めようとした訳です。

 柳は、春真っ先に芽吹くため、生命力復活のシンボルとされました。古代中国では魔除けに用いられたことが知られています。

●現代との接点
 餅を口に含ませて成長を祝い祈願する儀式は、平安時代中期には五十日と百日の2度行われましたが、末期になると五十日が百日に吸収され、100日目に2つを合わせる形で祝うこともあったようです。
後にはこれが「箸立(はしだて)」と称されるようになり、いわゆる「お食い初め」の原型となりました。

◆写真:祝いの品々 風俗博物館