09.10/20 536回
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(18)
柏木を頼りがいのある兄君とも親とも思っている末の弟たちはもちろんのこと、お屋敷にお仕えする人々で悲しまない人はおりません。朝廷でも衛門の督を惜しみ、その重病を残念に思われ、急に権大納言に昇進させられました。
「よろこびに思ひおこして、今一度も参り給ふやうもあるやと、思し宣はせけれど、さらにえたまらひやり給はで、苦しき中にも、かしこまり申し給ふ」
――(柏木が昇進に)喜びに元気づいて、もう一度参内なさることがありはしないかとの、おつもりでしたが、柏木は一向にご病気が快方に向かわないままで、病中の中でやっとお礼を申し上げるのでした。――
父大臣は、帝のこれほどの手厚いご信任を拝するにつけても、一層悲しく残念でならないのでした。
夕霧は、常にお見舞い申されておりましたが、このたびのご昇進のお祝いにいらっしゃいますと、そこここの門に昇進祝賀の客の馬や車が立ちこみ混雑してします。柏木は寝たままの無作法を詫びながら、加持の僧など、しばらく人払いなされて夕霧をお部屋にお入れになります。
普通の状態でのご昇進でしたら、柏木はどんなにかお喜びかと夕霧は口惜しくてなりません。
「などかくたのもしげなくはなり給ひにける。今日はかかる御よろこびに、いささかすくよかにもやとこそ思ひ侍りつれ」
――どうしてこんなにお弱りになってしまったのでしょう。今日のこの御喜びに、少しはご気分が良いと思いましたのに――
と几帳の端を引き上げますと、柏木は、
「『いと口惜しう、その人にもあらずなりにて侍りや』とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起きあがらむとし給へど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥し給へり。御座のあたりもの清げに、けはひかうばしう、心憎くぞ住みなし給へる」
――「実に情けない。昔の私とは思われぬようになってしまいましたよ」と、烏帽子に髪をおし入れるようにして、少し起き上がろうとなさるけれど、大そう苦しいご様子です。白いお召し物の、着馴染んでしなやかなのを何枚も重ねて、夜着を掛けてお寝みになっておられます。寝床の辺りはさっぱりとしていて、薫物の香がただよい、ゆかしい風情のお住まいぶりです。――
◆衾ひきかけて=夜寝るとき上にかける夜具。掛け布団やかい巻きなど。
ではまた。
三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(18)
柏木を頼りがいのある兄君とも親とも思っている末の弟たちはもちろんのこと、お屋敷にお仕えする人々で悲しまない人はおりません。朝廷でも衛門の督を惜しみ、その重病を残念に思われ、急に権大納言に昇進させられました。
「よろこびに思ひおこして、今一度も参り給ふやうもあるやと、思し宣はせけれど、さらにえたまらひやり給はで、苦しき中にも、かしこまり申し給ふ」
――(柏木が昇進に)喜びに元気づいて、もう一度参内なさることがありはしないかとの、おつもりでしたが、柏木は一向にご病気が快方に向かわないままで、病中の中でやっとお礼を申し上げるのでした。――
父大臣は、帝のこれほどの手厚いご信任を拝するにつけても、一層悲しく残念でならないのでした。
夕霧は、常にお見舞い申されておりましたが、このたびのご昇進のお祝いにいらっしゃいますと、そこここの門に昇進祝賀の客の馬や車が立ちこみ混雑してします。柏木は寝たままの無作法を詫びながら、加持の僧など、しばらく人払いなされて夕霧をお部屋にお入れになります。
普通の状態でのご昇進でしたら、柏木はどんなにかお喜びかと夕霧は口惜しくてなりません。
「などかくたのもしげなくはなり給ひにける。今日はかかる御よろこびに、いささかすくよかにもやとこそ思ひ侍りつれ」
――どうしてこんなにお弱りになってしまったのでしょう。今日のこの御喜びに、少しはご気分が良いと思いましたのに――
と几帳の端を引き上げますと、柏木は、
「『いと口惜しう、その人にもあらずなりにて侍りや』とて、烏帽子ばかりおし入れて、すこし起きあがらむとし給へど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥し給へり。御座のあたりもの清げに、けはひかうばしう、心憎くぞ住みなし給へる」
――「実に情けない。昔の私とは思われぬようになってしまいましたよ」と、烏帽子に髪をおし入れるようにして、少し起き上がろうとなさるけれど、大そう苦しいご様子です。白いお召し物の、着馴染んでしなやかなのを何枚も重ねて、夜着を掛けてお寝みになっておられます。寝床の辺りはさっぱりとしていて、薫物の香がただよい、ゆかしい風情のお住まいぶりです。――
◆衾ひきかけて=夜寝るとき上にかける夜具。掛け布団やかい巻きなど。
ではまた。