永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(667)

2010年03月06日 | Weblog
2010.3/6   667回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(10)

 横になられた紫の上のご様子が、いつもと違って大そうお苦しそうで、明石中宮は紫の上のお手を取って泣きながら見守っていらっしゃると、

「まことに消えゆく露の心地して、限りに見え給へば、御誦経の使ども、数も知らず立ち騒ぎたり」
――真実ほんとうに消えゆく露そのままに、今がご最後のご様子ですので、ご祈祷の僧をお頼みに行く使いの者達が右往左往して騒いでおります――

「前々もかくて生き出で給ふ折にならひ給ひて、御物の怪とうたがひ給ひて、夜一夜さまざまの事をしつくさせ給へど、かひもなく、明けはつる程に消え果て給ひぬ」
――(紫の上は)前もこんな状態で蘇生された時の例にならわれて、源氏は今度も物の怪の仕業であろうとお疑いになって、一晩中さまざまの修法の限りを尽くされましたが、その甲斐もなく、夜の明けきる前にお亡くなりになったのでした。――

 明石中宮も内裏にお帰りになる前に、こうして紫の上のご臨終にお逢いになったことを、やはり深いご縁とお思いになります。どなたも死はまぬがれ得ないこととはご存知でも、そのようなご分別などお忘れのように悲しみに包まれておいでです。
お側に仕える女房たちは皆正気を失っていますし、源氏もご自分ではお心を鎮めようもなくて、この時は、分別をもって動いている人は一人もいないのでした。

 ようやく源氏は夕霧をお側に呼び寄せられて、

「かく今は限りのさまなめるを、年頃の本意ありて思ひつる事、かかるきざみに、その思ひたがへて止みなむがいとほしきを、御加持に侍ふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ」
――いよいよ紫の上もご最後のようで、年来の宿願であった出家の事を、この間際に希望に背いたままにしてしまうのが可哀そうでならない。加持の僧や読経の僧などもみな声を止めて退出したようだが、少し居残っている者もいるであろうか――

 と、源氏は気も転倒なさったようにおっしゃいます。

◆旧暦の秋は7月~9月。紫の上の死は8月15日で満月とされる。満月は当時の人々にとって忌むべき夜。葵上は8月20日。かぐや姫は満月に月に上った。

ではまた。