2010.3/23 684回
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(9)
源氏は隅の間の高欄にもたれて、御庭前を見渡しては物思いにふけっていらっしゃる。
紫の上の喪に服して、お召し物も地味な無地の色にして、お部屋の飾りつけも簡素に、女房たちも喪服の色を変えずにいる者もいて、六条院はすべてが寂しく沈んでいるようで、
(歌)今はとてあらしやはてむなき人の心とどめし春のかきねを」
――私がいつか出家してしまうとしても、このお庭を荒廃させてはならない。亡き紫の上が心を込めて造った春のこの庭を――
誰にお気持を訴えようもないながら、口ずさんでいらっしゃるのでした。
何とも、つれづれのあまり、源氏は入道の宮(女三宮)の御住いにお渡りになります。
「若宮も人に抱かれておはしまして、こなたの若君と走り遊び、花惜しみ給ふ心ばへども深からず、いといはけなし。宮は、仏の御前にて経をぞ読み給ひける」
――若宮(薫)も侍女に抱かれていらしゃいましたが、こちらの若宮(匂宮)とご一緒になって、走り回ってお遊びになります。「花を大事にします」など言われましたが、匂宮はたいしてそんな気もなく、まったく他愛ない幼さです。女三宮は仏前でお経を読んでいらっしゃる――
源氏はお心の内に、
「何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかど、この世にうらめしく御心乱るる事もおはせず、のどやかなるままに、紛れなく行ひ給ひて、一方に思ひ離れ給へるも、いとうらやましく、かくあさへ給へる女の御志にだにおくれぬる事」
――女三宮はどれ程深く悟ってのご出家でもなかったけれど、俗世を恨み歎くこともなく、お気持も静かに勤行に専念なさっていられますのは、なんとも羨ましく、あれほど単純であられた宮のご道心にすら遅れをとってしまったことよ――
と、残念にも悔しくも思われるのでした。仏前の閼伽の花が夕明かりに映えてまことに美しく、源氏は「春に心を寄せていた人も亡くなって、今年の花々を興ざめてばかり見ておりましたが、仏の御飾りとして見てこそ、美しいと思いましたよ」と女三宮にお話かけになります。
◆かくあさへ給へる女=あの程度の単純な女、あのくらいの思慮の浅い女
◆閼伽(あか)=梵語の音訳。供え物の意味で、仏前に供える物、特に神聖な水。花も飾った。
◆写真:(右)次女に抱かれる薫、(左)1歳大きい匂宮、5歳。
中央は源氏。 風俗博物館
ではまた。
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(9)
源氏は隅の間の高欄にもたれて、御庭前を見渡しては物思いにふけっていらっしゃる。
紫の上の喪に服して、お召し物も地味な無地の色にして、お部屋の飾りつけも簡素に、女房たちも喪服の色を変えずにいる者もいて、六条院はすべてが寂しく沈んでいるようで、
(歌)今はとてあらしやはてむなき人の心とどめし春のかきねを」
――私がいつか出家してしまうとしても、このお庭を荒廃させてはならない。亡き紫の上が心を込めて造った春のこの庭を――
誰にお気持を訴えようもないながら、口ずさんでいらっしゃるのでした。
何とも、つれづれのあまり、源氏は入道の宮(女三宮)の御住いにお渡りになります。
「若宮も人に抱かれておはしまして、こなたの若君と走り遊び、花惜しみ給ふ心ばへども深からず、いといはけなし。宮は、仏の御前にて経をぞ読み給ひける」
――若宮(薫)も侍女に抱かれていらしゃいましたが、こちらの若宮(匂宮)とご一緒になって、走り回ってお遊びになります。「花を大事にします」など言われましたが、匂宮はたいしてそんな気もなく、まったく他愛ない幼さです。女三宮は仏前でお経を読んでいらっしゃる――
源氏はお心の内に、
「何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかど、この世にうらめしく御心乱るる事もおはせず、のどやかなるままに、紛れなく行ひ給ひて、一方に思ひ離れ給へるも、いとうらやましく、かくあさへ給へる女の御志にだにおくれぬる事」
――女三宮はどれ程深く悟ってのご出家でもなかったけれど、俗世を恨み歎くこともなく、お気持も静かに勤行に専念なさっていられますのは、なんとも羨ましく、あれほど単純であられた宮のご道心にすら遅れをとってしまったことよ――
と、残念にも悔しくも思われるのでした。仏前の閼伽の花が夕明かりに映えてまことに美しく、源氏は「春に心を寄せていた人も亡くなって、今年の花々を興ざめてばかり見ておりましたが、仏の御飾りとして見てこそ、美しいと思いましたよ」と女三宮にお話かけになります。
◆かくあさへ給へる女=あの程度の単純な女、あのくらいの思慮の浅い女
◆閼伽(あか)=梵語の音訳。供え物の意味で、仏前に供える物、特に神聖な水。花も飾った。
◆写真:(右)次女に抱かれる薫、(左)1歳大きい匂宮、5歳。
中央は源氏。 風俗博物館
ではまた。