永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(677)

2010年03月16日 | Weblog
2010.3/16   677回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(2)

 六条院では長年紫の上にお仕えした女房達は喪服の墨染の色を濃くして着ながら、年が変わっても、悲しみの色は改めようもなく、いつまでも諦めきれずにお慕いつづけております。

「年頃、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人々も、なかなか、かかる淋しき御一人寝になりては、いとおほぞうにもてなし給ひて、夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたり引きさけつつ、侍ははせ給ふ」
――(源氏は)この年月、芯からお気に入りで御寵愛になったというわけではないのですが、時折りお手のついていたような女房たちも、紫の上が亡くなられて源氏の淋しい一人寝の暮らしになってからは、(紫の上の目を気にせず寝所に招かれそうなものなのに)ごく普通の女房並みに取り扱われて、夜の御宿直などにも、だれかれと大勢の女房たちを、ご寝所から少し間を置いて控えさせてお置きになります――
 
源氏は、つれづれに、女房たちに昔のお話をなさる時もあるのでした。

 「名残なき御聖心の深くなり行くにつけても、然しもあり果つまじかりける事につけつつ、中ごろ物うらめしう思したる気色の、時々見え給ひしなどを思し出づるに」
――(源氏は)今は何の未練もなく仏道に入るお気持の、いよいよ深くなってゆくにつれて、決して末遂げられる筈もなかった(朧月夜や朝顔斎院、女三宮降嫁などとの女性関係)女の事について、ひところ紫の上が、私を恨めしくお思いのご様子が折々見えたことを思い出されるにつけ――

 源氏はしみじみとお心の内で、

「などて戯れにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見え奉りけむ、何事もらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知り給ひながら、ゑんじはて給ふことはなかりしかど、一わたりづつは、いかならむとすらむ、と思したりしを、すこしにても心を乱り給ひけむことの、いとほしう悔しう覚え給ふさま、胸よりも余る心地し給ふ」
――たとえ一時の戯れにもせよ、また実際ぬきさしならぬ事情があったにせよ、あのように他の女に心を移すようなことをしたのだろう。紫の上は何事につけても年齢以上に大人びていて気立てが良く、私の心の底まで見通されて、いつまでも恨みぬくという事はなかったものだった。でも、どの女との場合でも、きっとこの先どうなるかと、心を乱されたことであったろうとお思いになりますと、今更ながら不憫にも残念にも後悔なさる思いは、胸に収めかねるようでございます――

◆おほぞうにもてなし=いい加減に扱う

◆らうらうじく=才たけている。利発である。上品で可愛らしい。

◆ゑんじはて給ふ=恨みきってしまう

ではまた。