永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(671)

2010年03月10日 | Weblog
2010.3/10   671回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(14)

「十四日に失せ給ひて、これは十五日の暁なりけり」
――(紫の上は)十四日に亡くなって、葬送の儀は十五日の明け方でした――

 野辺の露もすっかり朝の光に照らしだされてきらきらしています。源氏は世の中(男女の仲、夫婦の仲)のはかなさに堪えられないお気持ばかりに思い沈んで、こうして生き残っても、あとどれ程の生命であろうか、いっそのこと、この悲しみに紛れて昔からの本意の出家を遂げたいと思うのですが、

「心よわき後の誹りを思せば、この程を過ぐさむ、とし給ふに、胸のせきあぐるぞ絶へ難かりける」
――その出家の動機が、紫の上の死では、あまりにも気が弱いなどと陰口を言われそうですので、しばらく時を置いてからにしようとお思いになりますと、またしても胸にせきあげてくる思いが堪らないのでした――

 夕霧も、御忌中の仏事に籠られて、少しもご自邸にお帰りになる事も無く、朝夕源氏のお側におられ、痛々しく悲しみに暮れていらっしゃる父君のご様子を、もっともな事とご同情申し上げていらっしゃる。

 野分だちた風に、夕霧は昔の事が思い出されて、あの時の紫の上をほんの少しだけでも拝見したいものと恋しく思い続けてきたことが堪え難いほど悲しくて、人にはそれと知られないように、

「『阿弥陀仏、阿弥陀仏』とひき給ふ数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもてけち給ひける」
――「阿弥陀仏、阿弥陀仏」と、爪ぐる数珠の玉に紛らわして、涙の落ちるのを隠していらっしゃる――

夕霧の(歌)

「いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えしあけぐれの夢」
――昔、野分(のわき=台風)の夕べに、ちらっとお見上げした紫の上の面影が恋しい上に、夜明けの薄明かりに夢見心地に拝見した最後のお顔が、忘れられない――

 夢から醒めたあとまで侘びしい事でした。

ではまた。