永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(668)

2010年03月07日 | Weblog
2010.3/7   668回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(11)

源氏はさらに続けて、

「この世には空しき心地するを、仏の御しるし、今はかの暗き道のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべき由ものし給へ。さるべき僧たれかとまりたる」
――(紫の上が)もうこの世に戻る望みはなさそうですが、仏のご利益をせめて今は冥途の供養としてお頼りしようと思うのです。剃髪の事を取りはからってください。誰かそれを行うことのできる、しかるべき僧が残っているだろうか――

 などとおっしゃるご様子も、強いて気をお強く持とうとなさっておいででしょうが、お顔色も青ざめて、耐えかねる悲しみに、涙をとめどなく流していらっしゃるのを、夕霧はごもっともと切なくお見上げなさる。

 父君のお申し出に、夕霧は、

「御物の怪などの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみ物は侍るめるを、然もやおはしますらむ。さらば、とてもかくても御本意のことは、よろしき事に侍るなり。一日一夜にても、忌む事のしるしこそは、空しからずは侍るなれ。(……)」
――物の怪などが人の心を乱そうとして、こうしたことがよくありますが、これもその例でしょうか。さようであれば、とにもかくにもご出家は結構なことでございます。一昼夜でも受戒をなされば、その効験はあるものと聞いております。しかし(本当に死んでしまわれてから、御髪だけをお落しなさっても、後世の特別な功徳にもならないと存じますし、目の前の悲しみばかり増すようでは、どんなものでしょう)――

 と、御忌中に参り籠るような篤志があって残っている僧のだれかれを召して、受戒に関することを、しっかり執り行いました。

 夕霧はお心の内で、

「年頃何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、いかならむ世に、ありしばかりも見奉らむ、ほのかにも御声をだに聞かぬことなど、心にも離れず思ひ渡りつるものを、声はつひに聞かせ給はずなりぬるにこそはあめれ、空しき御遺骸にても、今一度見奉らむの志かなふべき折は、唯いまより外にいかでかあらむ」
――今までずうっと、義母の紫の上に対して、なにやかやと大それた気持ちを持ったわけではありませんでしたが、いつかは、あの野分(のわき=台風)の朝、ちらっとお姿を拝見したくらいの垣間見ができようか、ほんのちょっとのお声だけでもお聞きする折もなくなってしまったのであろうか、せめて御遺骸であっても、もう一度拝見したいが、その望みが叶いそうな折は、今を置いて外にはないであろう――

◆写真:源氏物語絵巻・復元模写  「御法の巻}紫の上を見舞う源氏。

ではまた。