永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(681)

2010年03月20日 | Weblog
2010.3/20   681回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(6)

「中将の君とて侍ふは、まだちひさくより見給ひ馴れにしを、いと忍びつつ見給ひ過ぐさずやありけむ。いとかたはらいたきことに思ひて、馴れも聞こえざりけるを、かく亡せ給ひて後は、その方にはあらず、人よりことにらうたきものに心とどめ思したりしものをと、思し出づるにつけて、かの御形見の筋をぞあはれに思したる」
――中将の君と呼ばれてお仕えしているのは、まだ幼少の頃から、源氏が召し使われていたのでしたが、ごく密かに可愛がられないでもなかったようです。中将の君は、紫の上の手前申し訳なくて、深くもお馴染み申されなかったのですが、このように紫の上が亡くなられて後は、源氏としては色めいたお気持ちからではなく、あの紫の上が他の誰よりも可愛がって目を掛けておいでになったと思い出されるにつけ、この中将の君が紫の上の形見のように思われて、いとしくお思いになるのでした――

「心ばせ容貌などもめやすくて、うなゐ松に覚えたるけはひ、ただならましよりは、らうらうじと思ほす――
――(この中将の君は)気立ても姿かたちもやさしくて、塚に寄り添って立つ童子松(うないまつ)のように、何となく紫の上の面影の偲ばれる様子が、(縁がないとは思えないほど)もの馴れて行き届いているように見えるのでした――

 源氏は、近しくない人々にはまったくお会いにならず、上達部などや親しい方々、ご兄弟の宮達などが始終お出でになりますが、めったに御対面なさらないのでした。
そして、お心の内では、

「人に向かはむ程ばかりは、さかしく思ひしづめ、心をさめむと思ふとも、月頃に惚けにたらむ身の有様、かたくなしきひが事まじりて、末の世の人にもてなやまれむ、後の名さへうたてあるべし」
――人に対して居るときだけは、しっかり落ち着いて、心を静めようとしても、ここ数が月惚けてしまった身では見苦しい失敗をして、行く末の人々に迷惑がられるかも知れない。死後にも悪名をのこすことになろう――

「思ひほれてなむ人にも見えざなる、と言はれむも、同じ事なれど、なほ音に聞きて思ひやることのかたはなるよりも、見苦しき事の目に見るは、こよなく際まさりてをこなり」
――そうかといって、引き籠もってばかりいては、惚けたからだと言われるだろう。それも結局は同じだが、やはり噂のとおりだと悪く想像されるよりも、実際目の前の見苦しさの方が余計に愚かしくもみじめであるに違いない――

 そう源氏はお思いになって、夕霧にさえも御簾を隔ててお話になるのでした。

◆うなゐ松=童子松=馬のたてがみのように築いた塚で、塚の上の松を故人の形見として見るように、中将の君を紫の上の形見として見る意味。

◆ただならましよりは=普通よりは、平凡なよりは

◆らうらうじ=良く気がつく、行き届いている。

*編集画面が変更になって、分かりにくかったのでUPが遅くなりました。
 
ではまた。