永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(691)

2010年03月30日 | Weblog
2010.3/30   691回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(16)

 源氏は、

「何ばかり、世の常ならぬ事をかはものせむ。かの志おかれたる極楽の曼荼羅など、この度なむ供養ずべき。経などもあまたありけるを、なにがし僧都、皆その心委しう聞き置きたなれば、また加へてすべき事どもも、かの僧都の言はむに従ひてなむものすべき」
――何もことさら仰々しいことをするつもりはない。紫の上の発願で書かせておかれた極楽の仏画を、この機会に供養するのがよかろう。紫の上の写された経文も沢山あって、何とかという僧都がすべて故人の遺志を聞き置いているそうだから、そのほかの営むべき事も、その僧都の言うとおりにしたらよかろう――

 などとおっしゃる。夕霧は、

「(……)この世にはかりそめの御ちぎりなりけりと見給ふには、形見というばかりとどめ聞こえ給へる人だに、ものし給はぬこそ、口惜しう侍りけれ」
――(曼荼羅やお経のことまで生前からご準備しておかれましたのは、紫の上の後世には安心なことでございましたが)この世では短いご縁だったと思いますにつけましても、お形見といえるお子様さへお残しにならなかったのが、まことに残念でございました――

 源氏は、

「それは、かりそめならず命ながき人々も、さやうなることの大方少なかりける。
みづからの口惜しさにこそ。そこにこそは、門はひろげ給はめ」
――それについては、この世に縁が深く、長生きの女たちの腹にも、何故か子供が少なかったね。それが私の運のつたなさだった。貴方こそは子供が多いから家門をお広げになって欲しい――

 こうして源氏は何事につけても紫の上の為に気弱なご自分が恥ずかしく、この頃は昔のことをおっしゃらなくなりましたが、待っていた山時鳥(やまほととぎす)がかすかに鳴きだしたのを、ふと耳になさって、「どうして私が待っていたのを知って鳴きだしたのだろう」とお心が騒ぐのでした。

(源氏の歌)「なき人をしのぶるよひの村雨にぬれてや来つる山ほととぎす」
――亡き人を偲んで泣く今宵、涙のような村雨にきたのか、山時鳥(やまほととぎす)よ――

 と、歌われて、しみじみと空を眺めていらっしゃる。

(夕霧の歌)「ほととぎす君につてなむふるさとの花橘は今ぞさかりと」
――ほととぎすよ、あの世に行ったら紫の上に伝えてほしい。あなたが居られたふるさとの花橘は今が盛りに咲いていますと――

◆極楽の曼荼羅=曼荼羅は梵語の音訳。密教の宇宙観を表した絵。仏・菩薩の悟りの境地を一定の形式で図示したもの。写真。

◆一周忌の法事といっても現代とは違うようです。

◆橘(たちばな)と時鳥(ほととぎす):縁語。時鳥は冥界とこの世とを繋ぐ使者と考えられていた。

◆写真:曼荼羅(まんだら)

ではまた。



源氏物語を読んできて(橘)

2010年03月30日 | Weblog

常世の神の依り代、橘(たちばな)

 橘は立花で、これは柱などと同じく神の依り代。
 太古よりこの国に自生している常緑樹であり、美しい実と香しいにおい、さらに神の遣いである蝶の幼虫が育つ樹木であり、神の坐す處と世俗とを結ぶものとして尊ばれてきた。
 
 源平藤橘と云う四姓がこの国には多かったそうで、橘は県犬養三千代が功あって橘姓を貰ったとのこと。和銅元年(708)元明天皇の即位の大嘗祭の後の宴会の席上で橘は果実の長上、人の好む所なり、霜雪を凌いて繁茂し、寒暑を経てしぼまず、珠玉と共に光を競ひ、金銀に交じって美し。と云うことで、発足したとか。
 
 その後、聖武天皇が三千代の子の橘諸兄に与えた歌、
 「橘は 実さへ 花さへ その葉さへ 枝に霜ふれど いや常葉の樹」
と常世が意識されていたようです。

◆写真:橘

源氏物語を読んできて(ほととぎす)

2010年03月30日 | Weblog
 ほととぎす
【杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂】

 カッコウ目カッコウ科の鳥。カッコウに似るが小形。山地の樹林にすみ、自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる。鳴き声は極めて顕著で「てっぺんかけたか」「ほっちょんかけたか」などと聞え、昼夜ともに鳴く。夏鳥。

 古来、日本の文学、特に和歌に現れ、あやなしどり・くつてどり・うづきどり・しでのたおさ・たまむかえどり・夕影鳥・夜直鳥(よただどり)などの名がある。 花にも同名ホトトギスがありますが、ずっと、けばけばしい感じがします。

◆写真:時鳥