永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(680)

2010年03月19日 | Weblog
2010.3/19   680回

四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(5)

 源氏のお話はつづいて、

「それを強いて知らぬ顔にながらふれば、かく今はの夕べ近き末に、いみじき事のとぢめを見つるに、宿世の程も、自らの心の際も、残りなく見はてて心安きに、今なむ露のほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目ならす人々の、今はとて行き別れむ程こそ、今一際の心乱れぬべけれ。いと、はかなしかし。わろかりける心の程かな」
――それ(仏への信仰)を、無理に気付かぬふりをして、出家もせずに暮らしているところへ、こうも死期の迫った晩年に、最大の悲しみに出会わされたので、私の運命の拙さも、心の至らなさもすっかり分かって、気持ちも落ち着いて、今では何一つこの世への心残りはなくなったが、こうして、亡き紫の上の思い出などを語り合って、前よりいっそう親しくなったそなたたちと、いよいよ別れ別れになる時こそ、もう一度心が乱れることだろうね。全く人間とは儚いものだ。それにしても私の思い切りの悪いことよ――

 と、お目を拭われるのを隠そうとなさいますが、隠しきれず流れる涙を拝見する女房達は、ましてや、涙を止めようもありません。

「さて、うち棄てられ奉りなむがうれはしさを、おのおのうち出でまほしけれど、然もえ聞こえず、むせかへりてやみぬ」
――そのようにして、源氏から見棄てられ、取り残された辛さを、女房達はそれぞれ申し上げたいのですが、そうは口に出しかねて、ただ咽せ返るばかりでした――

「かくのみ歎き明かし給へる曙、ながめ暮らし給へる夕暮れなどの、しめやかなる折々は、かのおしなべてには思したらざりし人々を、御前近くて、かやうの御物語などをし給ふ」
――こんな風に歎き明かされた曙や、ぼんやり思い沈んでお暮しになった夕暮れなどのしめやかな折々には、あの格別にお目をおかけになった女房を近くにお召しになって、このようなお話をなさるのでした――

◆いみじき事のとぢめ=悲しみの極み、絶頂

◆露のほだし=露ほどの束縛

◆けに目ならす人々=いっそう親しくなった人々(そなたたち)

ではまた。