2010.3/24 685回
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(10)
源氏はつづけて、
「対の前の山吹こそ、なほ世に見えぬ花のさまなれ。房のおおきさなどよ。品高うなどは掟てざりける花にやあらむ、はなやかににぎははしき方は、いと面白きものになむありける。植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりもにほひかさねたるこそあはれ侍れ」
――紫の上の住んでおられた御殿の前の山吹だけは、世にもめずらしい花の咲きようですよ。花房の大きいことなどもね。山吹は上品に咲こうなどという考えはない花なのでしょうが、華麗で賑やかな点ではたいそう風情のある花です。植えた人の、今はもう亡き人となってしまった春とも知らず、例年よりたわわに咲き匂っているのを、私は、あわれ深く眺めています――
とおっしゃると、女三宮はお答えに、
「谷には春も…」
――谷には春も――古歌古今集「光りなき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思いもなし」(現世の楽しみを思わぬ私には、春も他人事ですから、花が咲いてすぐ散ろうにも歎くことはありません)
と、何気ない気でおっしゃるのを、源氏は、
「言しもこそあれ、心憂くも。先づかやうのはかなきことにつけても、そのことのさらでもありなむかし、(……)」
――まったく他に言いようもあろうに、(紫の上を失って悲しみの中にいる私に対して)ひどいことをおっしゃるものだ。こうしたちょっとしたことでも、(紫の上は、そこまで言わなくても良いとこちらが思うことに違わなかったものだった)――
と、幼い頃からの紫の上のご態度について、あれこれと偲ばれますと
「かどかどしうらうらうじう、にほひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉」
――何よりもその折々につけて才気があり、気転もきき、潤いのあふれる人柄や身のこなし、言葉つき――
などを、次々と思い出されて、例の涙もろさに忍びきれず、ほろほろと涙がこぼれ落ちてしまいますのも、まだまだお辛いゆえのことなのでした。
◆写真:山吹の花
ではまた。
四十一帖 【幻(まぼろし)の巻】 その(10)
源氏はつづけて、
「対の前の山吹こそ、なほ世に見えぬ花のさまなれ。房のおおきさなどよ。品高うなどは掟てざりける花にやあらむ、はなやかににぎははしき方は、いと面白きものになむありける。植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりもにほひかさねたるこそあはれ侍れ」
――紫の上の住んでおられた御殿の前の山吹だけは、世にもめずらしい花の咲きようですよ。花房の大きいことなどもね。山吹は上品に咲こうなどという考えはない花なのでしょうが、華麗で賑やかな点ではたいそう風情のある花です。植えた人の、今はもう亡き人となってしまった春とも知らず、例年よりたわわに咲き匂っているのを、私は、あわれ深く眺めています――
とおっしゃると、女三宮はお答えに、
「谷には春も…」
――谷には春も――古歌古今集「光りなき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思いもなし」(現世の楽しみを思わぬ私には、春も他人事ですから、花が咲いてすぐ散ろうにも歎くことはありません)
と、何気ない気でおっしゃるのを、源氏は、
「言しもこそあれ、心憂くも。先づかやうのはかなきことにつけても、そのことのさらでもありなむかし、(……)」
――まったく他に言いようもあろうに、(紫の上を失って悲しみの中にいる私に対して)ひどいことをおっしゃるものだ。こうしたちょっとしたことでも、(紫の上は、そこまで言わなくても良いとこちらが思うことに違わなかったものだった)――
と、幼い頃からの紫の上のご態度について、あれこれと偲ばれますと
「かどかどしうらうらうじう、にほひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉」
――何よりもその折々につけて才気があり、気転もきき、潤いのあふれる人柄や身のこなし、言葉つき――
などを、次々と思い出されて、例の涙もろさに忍びきれず、ほろほろと涙がこぼれ落ちてしまいますのも、まだまだお辛いゆえのことなのでした。
◆写真:山吹の花
ではまた。