永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(674)

2010年03月13日 | Weblog
0.3/13   674回

四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(17)

 源氏はその昔、前の北の方(葵の上)が亡くなられた時よりも少し濃い色の喪服をお召しになっておられます。

「世の中に幸ひありめでたき人も、あいなう大方の世に嫉まれ、よきにつけても心の限りおごりて、人の為苦しき人もあるを、あやしきまですずろなる人にも承けられ、はかなく出で給ふ事も、何事につけても、世に誉められ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、あり難かりし人の御心ばへなりかし」
――世の中には幸いを得て栄えておられる人でも、何ということなく世間の人々に妬まれ、身分が高ければ高いでどこまでも驕り高ぶって、人に辛い思いをさせる人もあるものですが、(亡き紫の上は)不思議なくらい、つまらない人々にも好意を持たれ、ちょっとしたことでも世人に称賛され、奥ゆかしく、その折々につけて気転が利き、まことに珍しいご気性の御方でした――

 それほど縁のない人々でさえ、その頃は風の音や虫の声につけても、紫の上のことをお慕いして涙を落とさない者はいませんでした。

「ましてほのかにも見奉りし人の、思ひなぐさむべき世なし。年頃睦まじく仕うまつり馴れつる人々、しばしも残れる命、うらめしき事を歎きつつ、尼になり、この世の外の山住みなどに思ひ立つもありけり」
――ましてや、ちょっとでも紫の上にお逢いした人は、当分気の紛れる時もないほどでした。長年お側にお仕え申していた女房の中には、紫の上のお亡くなりになって後、自分の命の残ったのを恨めしいとばかり歎いては、俗世を離れて山寺に住むことを発心する者もあったのでした――

 冷泉院の后の宮(秋好中宮)からも、お心のこもった御消息があり、尽きせぬ悲しみをお述べになって、

(歌)「『枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の秋にこころをとどめざりけむ』今なむ道理知られ侍りぬる」
――「ものみなが枯れ果てる野辺をわびしく思われて、あの方は秋を好まれなかったのでしょうか」紫の上が秋を好まれなかったことが、今わかりました――

 と、書かれてありましたのを、茫然自失の源氏のお心ながらも、繰り返し下にも置かずご覧になっております――

ではまた。