7/23
【澪標(みおつくし】の巻 その(8)
このように、二條の院の紫の上のご機嫌をとっておいでのうちに、花散里へお通いにならないのも、おいたわしいことでした。
めずらしく、公務も暇の五月の五月雨がしとしと降る夜に、ようやく思い起こして、かのお屋敷をお尋ねになります。
この方は
「余所ながらも、明け暮れにつけてよろづに思しやりとぶらひ聞え給ふを頼みにて、過ぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみうらみ給ふべきならねば、心やすげなり」
――この花散里の御方は、お世話してくださるのを頼りに過ごされていらっしゃる所ですので、源氏が明け暮れお通いにならなくても、目立って不機嫌な顔つきで、すねたり、恨んだりなさらない方なので、心安いのでした。――
このような折りにも、源氏は五節の君をお忘れになりませんでしたが、今のご身分では、外出もままならず、お忍びで人目を紛らわすこともむずかしい。五節の君も、親の薦める縁づきにも、気が進まず、源氏をお慕い申し上げているようです。
尚侍(朧月夜)の君のことも、源氏はいまも諦めてはいらっしゃらず、懲りないさまに、またもお逢いしたい旨ほのめかされますが、
「女は憂きに懲り給ひて、昔のやうにもあひしらへ聞え給はず。なかなか所狭う、さうざうしう世の中思さる。」
――朧月夜の君は、前の辛かった経験に懲りて、以前のようにはお相手になろうとうはなさらない。源氏は、今はかえって窮屈で物足りないと、お二人の中をお思いになります――
宮中のご様子は、
朱雀院は、ご譲位されて後は、のどかになられ、折々につけ管弦のお遊びなど催されます。
春宮の御母の承香殿(じょうきょうでん)女御は、帝のご寵愛の朧月夜の君に気圧されて、特に取り立てて華やかではありませんでしたが、春宮の御母という、うって変わったお幸せな身の上になられ、院のお側ではなく、春宮とご一緒に住んで居
られます。
◆源氏 風俗博物館
ではまた
【澪標(みおつくし】の巻 その(8)
このように、二條の院の紫の上のご機嫌をとっておいでのうちに、花散里へお通いにならないのも、おいたわしいことでした。
めずらしく、公務も暇の五月の五月雨がしとしと降る夜に、ようやく思い起こして、かのお屋敷をお尋ねになります。
この方は
「余所ながらも、明け暮れにつけてよろづに思しやりとぶらひ聞え給ふを頼みにて、過ぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみうらみ給ふべきならねば、心やすげなり」
――この花散里の御方は、お世話してくださるのを頼りに過ごされていらっしゃる所ですので、源氏が明け暮れお通いにならなくても、目立って不機嫌な顔つきで、すねたり、恨んだりなさらない方なので、心安いのでした。――
このような折りにも、源氏は五節の君をお忘れになりませんでしたが、今のご身分では、外出もままならず、お忍びで人目を紛らわすこともむずかしい。五節の君も、親の薦める縁づきにも、気が進まず、源氏をお慕い申し上げているようです。
尚侍(朧月夜)の君のことも、源氏はいまも諦めてはいらっしゃらず、懲りないさまに、またもお逢いしたい旨ほのめかされますが、
「女は憂きに懲り給ひて、昔のやうにもあひしらへ聞え給はず。なかなか所狭う、さうざうしう世の中思さる。」
――朧月夜の君は、前の辛かった経験に懲りて、以前のようにはお相手になろうとうはなさらない。源氏は、今はかえって窮屈で物足りないと、お二人の中をお思いになります――
宮中のご様子は、
朱雀院は、ご譲位されて後は、のどかになられ、折々につけ管弦のお遊びなど催されます。
春宮の御母の承香殿(じょうきょうでん)女御は、帝のご寵愛の朧月夜の君に気圧されて、特に取り立てて華やかではありませんでしたが、春宮の御母という、うって変わったお幸せな身の上になられ、院のお側ではなく、春宮とご一緒に住んで居
られます。
◆源氏 風俗博物館
ではまた
地方の庶民の女性
小袖(こそで)(=襖)を着て、小袴をはいて着込める。
湯巻(ゆまき)をまいて、手甲(てっこう)や脛巾(はばき)(=脚半)をつける。髪が乱れないように鉢巻(はちまき)でくるむ。
草鞋(わらじ)をはく。
地方の庶民の男性
折烏帽子(おれえぼし)をかぶる。
小袖や直垂(ひたたれ)を着て、小袴に着込める。
手甲や脛巾をつけ、草鞋をはく。
小袖(こそで)(=襖)を着て、小袴をはいて着込める。
湯巻(ゆまき)をまいて、手甲(てっこう)や脛巾(はばき)(=脚半)をつける。髪が乱れないように鉢巻(はちまき)でくるむ。
草鞋(わらじ)をはく。
地方の庶民の男性
折烏帽子(おれえぼし)をかぶる。
小袖や直垂(ひたたれ)を着て、小袴に着込める。
手甲や脛巾をつけ、草鞋をはく。
◆乳母と乳母子(めのと と めのとご)
女房の中で、特別な扱いをされ、勢力もあるのが乳母である。高貴な家では子供が生まれるとすぐ乳母を決めて、母乳の不足を補い大事に育てた。源氏には二人の乳母(夕顔に出る大貳の乳母、末摘花の巻の左右衛門の乳母)がいた。
乳母はお乳を与える養い子が生まれた頃、自分も出産して乳が出る状態にあるので、当然養い子と同年の子があることになる。それを乳母子という。
赤子の死亡率が高かった頃の、風習とはいえ、乳を奪われる子の方はどうだったのだろう。
乳母は養い君を一途に良かれと慈しみ育て、その夫も若君の後ろ盾にとなって、相当羽振りをきかせたらしい。
同じ懐に育った乳母子は、若君と一心同体、形影相沿う如く行動し、他人には言えぬ相談事の相手になる。この例が源氏と惟光である。
◆参考:源氏物語手鏡
女房の中で、特別な扱いをされ、勢力もあるのが乳母である。高貴な家では子供が生まれるとすぐ乳母を決めて、母乳の不足を補い大事に育てた。源氏には二人の乳母(夕顔に出る大貳の乳母、末摘花の巻の左右衛門の乳母)がいた。
乳母はお乳を与える養い子が生まれた頃、自分も出産して乳が出る状態にあるので、当然養い子と同年の子があることになる。それを乳母子という。
赤子の死亡率が高かった頃の、風習とはいえ、乳を奪われる子の方はどうだったのだろう。
乳母は養い君を一途に良かれと慈しみ育て、その夫も若君の後ろ盾にとなって、相当羽振りをきかせたらしい。
同じ懐に育った乳母子は、若君と一心同体、形影相沿う如く行動し、他人には言えぬ相談事の相手になる。この例が源氏と惟光である。
◆参考:源氏物語手鏡
7/22
【澪標(みおつくし】の巻 その(7)
添えられている御文には、いろいろのなかに、「わたしは直ぐにでもそちらへいきたいものです。やはりこのままでは置けないので、上京なさる準備をしてください。あなたを心細い思いにおさせしませんから…」とありました。
入道は嬉し泣きも例のごとくで、生きていた甲斐があったものだと思うのももっともなことです。
明石の御方からのお文も細々とありました中で
「……げに後やあすく思ふ給へ置くわざもがな」
――……仰せのとおり、姫君については安心のゆくように、お取り計らいくださいませ――
源氏はごらんになって、あわれなことよと、独り言をおっしゃっていますのを、紫の上はそちらを横目でみられて
「『浦よりをちに漕ぐ船の』と忍びやかにひとりごちながめ給ふを……」
――(三熊野の浦よりをちに漕ぐ船のわれをばよそに隔てつるかな)私をお隔てになるのですね、とそっと独り言のように言って遠く目をやっておりますと、
「『まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただばかりのあはれぞや。所のさまなどうち思ひやる時々、来しかたのこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐい給わね』など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。」
――「真実これほどまでお疑いになることよ。これはただ、これだけの感情なのですよ。明石の浦の風情を思い出す時々に、その頃のことを忘れ兼ねて、ひとり言も洩れるのですが、よくも聞き捨てになさらないのですね。」とお恨みになりながら、明石の御方から来ました文の上包だけをお見せになります――
手蹟(て)などたいそう深みがあって、歴とした方も恥じ入るようなのを、紫の上は見やって、
こういう具合だからこそ、明石の御方をないがしろにはおできにならないのだとお思いになります。
ではまた。
【澪標(みおつくし】の巻 その(7)
添えられている御文には、いろいろのなかに、「わたしは直ぐにでもそちらへいきたいものです。やはりこのままでは置けないので、上京なさる準備をしてください。あなたを心細い思いにおさせしませんから…」とありました。
入道は嬉し泣きも例のごとくで、生きていた甲斐があったものだと思うのももっともなことです。
明石の御方からのお文も細々とありました中で
「……げに後やあすく思ふ給へ置くわざもがな」
――……仰せのとおり、姫君については安心のゆくように、お取り計らいくださいませ――
源氏はごらんになって、あわれなことよと、独り言をおっしゃっていますのを、紫の上はそちらを横目でみられて
「『浦よりをちに漕ぐ船の』と忍びやかにひとりごちながめ給ふを……」
――(三熊野の浦よりをちに漕ぐ船のわれをばよそに隔てつるかな)私をお隔てになるのですね、とそっと独り言のように言って遠く目をやっておりますと、
「『まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただばかりのあはれぞや。所のさまなどうち思ひやる時々、来しかたのこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐい給わね』など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。」
――「真実これほどまでお疑いになることよ。これはただ、これだけの感情なのですよ。明石の浦の風情を思い出す時々に、その頃のことを忘れ兼ねて、ひとり言も洩れるのですが、よくも聞き捨てになさらないのですね。」とお恨みになりながら、明石の御方から来ました文の上包だけをお見せになります――
手蹟(て)などたいそう深みがあって、歴とした方も恥じ入るようなのを、紫の上は見やって、
こういう具合だからこそ、明石の御方をないがしろにはおできにならないのだとお思いになります。
ではまた。
貴族に仕える女房たち
主人付き、北の方付き、若君や姫君付きとそれぞれ何人かいる。
話し相手、取り次ぎ、応対、手紙の代筆、身の回りの世話、ときには教育にもあずかるので、人材を得るのは親として最大の関心事であった。
末摘花の例でみると、常陸宮の孤児となって後見するものがいないので、お屋敷は荒れ放題、仕えている女房たちも、他に移れるものは出て行き、残ってもあわれな生活をしている。
かつては帝の姻戚にあった宮家も、浮き沈みが激しかった。
末摘花は、気位を高く持って、貧困に耐えている例である。
主人付き、北の方付き、若君や姫君付きとそれぞれ何人かいる。
話し相手、取り次ぎ、応対、手紙の代筆、身の回りの世話、ときには教育にもあずかるので、人材を得るのは親として最大の関心事であった。
末摘花の例でみると、常陸宮の孤児となって後見するものがいないので、お屋敷は荒れ放題、仕えている女房たちも、他に移れるものは出て行き、残ってもあわれな生活をしている。
かつては帝の姻戚にあった宮家も、浮き沈みが激しかった。
末摘花は、気位を高く持って、貧困に耐えている例である。
宮中の女房たち
天皇家の場合でみると、「上の女房」といい、官職にある女官とは別に天皇の私生活に奉仕する。女房自身が使う女房もいた。
皇后や女御、更衣にもそれぞれ女房がおり、みな実家から付けてくる。
娘を妃として宮廷に上げる場合、この女房集めが大きな仕事となる。
他の家から出た妃たちとの交際や、廷臣と対応のできる若くて美しく、教養のある女房や、女房を取り仕切る年輩の女房など多彩な人数を要し、数も20人30人と増していった。
女房として出仕することは、男性への取り次ぎなど、交際のきっかけに安易におちいることも覚悟しなければならないので、高貴な家柄では姫君を出すようなことはしなかった。
だが、この当時、女性の保護・後見をする親や兄弟が居ない状態になると、いっきに没落してしまう。このような家の姫たちは生活のため、女房として出仕の道を選ぶ場合も多かった。経済的に女性が一人で生きて行けるのは、余程の資産を相続できたばあいである。
女房には様々な資質が要求され、また家々の事情とが相まって、出身階級により、上中下があったが、宮中の機能を担う大切な働き手ではあった。
写真:働く女房
天皇家の場合でみると、「上の女房」といい、官職にある女官とは別に天皇の私生活に奉仕する。女房自身が使う女房もいた。
皇后や女御、更衣にもそれぞれ女房がおり、みな実家から付けてくる。
娘を妃として宮廷に上げる場合、この女房集めが大きな仕事となる。
他の家から出た妃たちとの交際や、廷臣と対応のできる若くて美しく、教養のある女房や、女房を取り仕切る年輩の女房など多彩な人数を要し、数も20人30人と増していった。
女房として出仕することは、男性への取り次ぎなど、交際のきっかけに安易におちいることも覚悟しなければならないので、高貴な家柄では姫君を出すようなことはしなかった。
だが、この当時、女性の保護・後見をする親や兄弟が居ない状態になると、いっきに没落してしまう。このような家の姫たちは生活のため、女房として出仕の道を選ぶ場合も多かった。経済的に女性が一人で生きて行けるのは、余程の資産を相続できたばあいである。
女房には様々な資質が要求され、また家々の事情とが相まって、出身階級により、上中下があったが、宮中の機能を担う大切な働き手ではあった。
写真:働く女房
7/21
【澪標(みおつくし】の巻 その(6)
源氏はさらに、明石の御方の、あの夜のはっきりではありませんが容貌の美しさや、琴の音の趣深かったことなどお忘れになりがたい様にお話を続けられます。紫の上は、あの頃はまたとない悲しさに嘆いていましたのに、あなたは気まぐれにせよ、他に愛情を分けておられたとは、と穏やかではいられないお気持ちになって、
「『われはわれ』とうちそむきながめて『あはれなりし世の有様かな』とひとりごとのやうにうちなげきて、うた
『思ふどちなびく方にはあらずともわれぞけぶりにさきだちなまし』」
――「所詮、私はわたし」と、あちらをお向きになって眺めいりながら、「なんと悲しい間柄でしたこと」と独り言のようにおっしゃって、「私の方が先にこの世から消えてしまうでしょう」――
「何とか。心憂や。……」
――何をおっしゃる、嫌なことだなあ。(一体誰のために辛い憂き世を流離ってきたことか。ただあなたを思えばこそなのに)――
源氏は箏の琴を引き寄せて、掻き合わせを紫の上にお薦めになりますが、明石の御方がお上手とお聞きになっていたことを妬ましく思われたようで、手にもお触れになりません。
おっとりと鷹揚だった紫の上が、嫉妬心がおつきになって腹を立てているご様子も又なかなか見どころがあると、源氏はお思いです。
五月五日は、明石の姫君の五十日(いか)に当たると、源氏は密かに数えられて、それにしても、所もあろうに、あのような辺鄙な田舎に可愛そうな有様で生まれ来たことよ。姫君を先々妃にと思えば、愛おしく、流敵という運命もこのことの為であったことよ。
世にもまれなる立派なものばかりをお持たせになって、お祝いの使者を五日に違わず到着させました。
ではまた。
◆写真:貴族の従者の狩衣
【澪標(みおつくし】の巻 その(6)
源氏はさらに、明石の御方の、あの夜のはっきりではありませんが容貌の美しさや、琴の音の趣深かったことなどお忘れになりがたい様にお話を続けられます。紫の上は、あの頃はまたとない悲しさに嘆いていましたのに、あなたは気まぐれにせよ、他に愛情を分けておられたとは、と穏やかではいられないお気持ちになって、
「『われはわれ』とうちそむきながめて『あはれなりし世の有様かな』とひとりごとのやうにうちなげきて、うた
『思ふどちなびく方にはあらずともわれぞけぶりにさきだちなまし』」
――「所詮、私はわたし」と、あちらをお向きになって眺めいりながら、「なんと悲しい間柄でしたこと」と独り言のようにおっしゃって、「私の方が先にこの世から消えてしまうでしょう」――
「何とか。心憂や。……」
――何をおっしゃる、嫌なことだなあ。(一体誰のために辛い憂き世を流離ってきたことか。ただあなたを思えばこそなのに)――
源氏は箏の琴を引き寄せて、掻き合わせを紫の上にお薦めになりますが、明石の御方がお上手とお聞きになっていたことを妬ましく思われたようで、手にもお触れになりません。
おっとりと鷹揚だった紫の上が、嫉妬心がおつきになって腹を立てているご様子も又なかなか見どころがあると、源氏はお思いです。
五月五日は、明石の姫君の五十日(いか)に当たると、源氏は密かに数えられて、それにしても、所もあろうに、あのような辺鄙な田舎に可愛そうな有様で生まれ来たことよ。姫君を先々妃にと思えば、愛おしく、流敵という運命もこのことの為であったことよ。
世にもまれなる立派なものばかりをお持たせになって、お祝いの使者を五日に違わず到着させました。
ではまた。
◆写真:貴族の従者の狩衣
庶民の都の女性
小袖や、手無(てなし)という袖のない衣を着て、湯巻を巻く。袴ははくこともはかないこともある。
髪は、結わえるくらいで貴族ほど長くはせず、後で結わえる。鉢巻でくるむこともある。
下駄(げた)や草履(ぞうり)をはく。はだしのこともある。
庶民の服地
庶民の服に関しては、甚だ資料が乏しいのが現状です。高級官僚 からの 「お下がり」 を頂ける人々を除けば、通称 「野良着 (のらぎ)」 になります。その素材は、麻布 ・紙布 ・獣毛などとなり、「絹」 素材の布の服は、とても無理でした。
小袖や、手無(てなし)という袖のない衣を着て、湯巻を巻く。袴ははくこともはかないこともある。
髪は、結わえるくらいで貴族ほど長くはせず、後で結わえる。鉢巻でくるむこともある。
下駄(げた)や草履(ぞうり)をはく。はだしのこともある。
庶民の服地
庶民の服に関しては、甚だ資料が乏しいのが現状です。高級官僚 からの 「お下がり」 を頂ける人々を除けば、通称 「野良着 (のらぎ)」 になります。その素材は、麻布 ・紙布 ・獣毛などとなり、「絹」 素材の布の服は、とても無理でした。