◎神戸製鋼社内の「隠語」に思う
昨日零時三四分配信のFNNのネット記事「神戸製鋼 改ざんの実態を証言 社内では隠語使用」によれば、神戸製鋼が四〇年以上前からおこなっていたアルミや銅製品の品質データの改ざんは、社内で「トクサイ(特採)」という隠語で呼ばれていたという。
この記事を読んで、六年ほど前、このブログで、〝ベアリング業界の「隠語」に思う 〟(二〇一二・六・一七)というコラムを書いたことを思い出した。手抜きで申し訳ないが、以下は、そのコラムの焼き直し版である。もちろん、「ベアリング業界」を「神戸製鋼」に替えるなど、最低限の加工は施してある。
◎神戸製鋼社内の「隠語」に思う
今月七日の配信のFNNのネット記事「神戸製鋼 改ざんの実態を証言 社内では隠語使用」を読んだ。その前半部分を紹介しておこう。
会社ぐるみの改ざん。/神戸製鋼所の元社員が、内部の実態を語った。
FNNの取材に、「不正をやっているといった感覚ではないから、納期もあるし無駄もなくす。なんで大きな問題になっているのかわからない」と証言したのは、品質データ改ざん事件に揺れる神戸製鋼所の元社員。
東京地検特捜部と警視庁による捜査が進む中、不正の実態を赤裸々に語った。/神戸製鋼所元社員は「やり始めた当初はお客さんに『こっち(基準から)外れちゃったんで見てください』と『これでもいけますか』ってあうんの呼吸でやっている」と話した。
基準から外れた製品を、顧客の了解を得て出荷する特別採用。/神戸製鋼の調査によると、アルミや銅製品の品質データの改ざんは、社内で「トクサイ(特採)」という隠語で呼ばれ、40年以上前から行われていたという。
ありきたりの事件であり、記事であるが、見出しに大きく「隠語」という文字があったことに注目した。
隠語とは何か。隠語研究の第一人者である渡辺友左〈トモスケ〉氏は、その著書『隠語の世界』(南雲堂、一九八一)において、「隠語」を、「社会集団が集団内部の秘密を保持するために、その集団の内部だけにしか通じないことを意図して、人為的につくったことば」と定義した。
同書から、少し引用してみよう。
隠語とは、社会集団が集団内部の秘密を保持するために、その集団の内部だけにしか通じないことを意図して、人為的につくったことばのことである。隠語は、集団内部の秘密保持のためにつくったことばであるということで、同じ集団語である非隠語から区別される。閉鎖性の強い集団、たとえば反社会的集団のことばにその典型的なものがある。/他方、社会が分化・発展していけば、職場・職業や専門を同じくする社会社会集団や社会の専門分野の中で、それぞれの職場・職業や専門に適合したことばが、集団や専門分野の秘密保持ということとは関係なくつくられることになる。非隠語の中の、職場語・職業語・専門語・術語などと呼ばれるものがこれである。
渡辺氏によれば、隠語は集団語の下位概念で、集団語には隠語と非隠語とがある。「隠語」の典型的なものは「反社会集団」によって使用されている。一般の社会集団で使われる「職場語・職業語・専門語・術語」などは、「非隠語」に分類されるという。なお、渡辺氏は、「反社会集団」の対語として、「非反社会集団」という概念を提示している。
有力な隠語研究家である米川明彦氏は、その著書『集団語の研究』上巻(東京堂出版、二〇〇九)において、隠語の「社会的機能」を四つ指摘している。ここでは、その第一のみを紹介する。
第一に所属集団の秘密を保持する機能である。反社会的集団、犯罪者集団に圧倒的に多いことからも察することができるように、知られてはまずいことをする連中が集団の安全、防衛のために隠語化して秘密が〔を?〕保持するのである。言い換えれば、外部の集団にはわからぬようにする働きである。
渡辺氏も米川氏も、「隠語」を、基本的に、反社会的集団や犯罪者集団に特有のものとして捉えようとしている。
しかし、隠語の研究の深化のためには、こうした「偏見」は好ましいものではあるまい。
現に、神戸製鋼も、「品質データの改ざん」を隠すために「隠語」を使っていた。これはまさに、「知られてはまずいことをする連中が集団の安全、防衛のために」作ったものではないのか。
また米川氏は、前掲の著書で、二〇〇四年の朝日新聞記事を引用しながら、兵庫県警自動車警ら隊に「つくり」という隠語があることを紹介している。「つくり」とは、「架空の被害者や容疑者をでっち上げ、事件が解決したとする書類を作り上げること」だという。これは、公文書偽造という犯罪にほかならない。この隠語もまた、「知られてはまずいことをする連中が集団の安全、防衛のために」作ったものでなないのか。
私が言おうとしているのは、神戸製鋼や兵庫県警を「反社会的集団」として位置づけよ、ということではない。「隠語」という問題を研究する際、それを使用する集団が、「反社会的集団」であるのか「非反社会集団」であるのかを区分することは、まったく意味がないということが言いたいのである。
隠語研究の深化・発展のためには、研究対象集団を「反社会的集団」、「非反社会的集団」に区分する発想そのものを、まず払拭すべきであろう。なお、拙著『隠語の民俗学』(河出書房新社、二〇一一)を参照いただければさいわいである。