◎逃れたい現実を直視するのは不愉快なことだ
カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその五回目。
第二部「日本の悲劇的使命」の第一章「日本の奇妙な現状」は、非常に長く、49ページ分もある。この章からは、二箇所を引いてみたい。最初に紹介するのは、次の箇所である。
人類史上最も有名な「経済の奇跡」をもたらした推進力は何だったのか?
なぜ、日本国民は非常に多くの生きがいを犠牲にしてまで、ずっとこれを続けてきたのか?
この疑問を初めて自分に問いかけたときのことを私は覚えている。それは一九六〇年代半ばのころで、「経済の奇跡」はすでによく知られてはいたが、まだ今日ほど有名ではなかった。私は、日本人の知人グループと落ち合ったあと、東京の日比谷あたりを歩いていた。日本の知人たちは、日本経済、自分の会社、自分の仕事のことについて話していた。彼らのいちずな話しぶりに、私は突然、もし彼らが上司から自分の宝石類や家宝を資金として供出するよう頼まれたら、きっとそうするにちがいないと考えた。彼らの会話を聞けば、自分の会社の成功が彼らにとって世の中で一番重要なことらしいと、だれだって結論するしかなかったろう。彼らは、敵の攻撃を受け祖国防衛のために召集された国民のみがもつ熱烈さをもって、日本経済にかかわっていた。日本人は男女の別なく、個人の自由と個人の利益が侵されるのを容認していた。これは、ヨーロッパばかりか、私が十代の後半を過ごしたアジア四カ国のいずれでも、私が思うに、行き過ぎとみなされるであろう寛容さだった。どんな特殊事情でそんなふうになったのか。
自分の生き方の理由を訊かれることは、多くの人を不愉快にさせる。逃れたい現実を直視させられるからだろう。それは、多くの日本人にとってはとくに不愉快だ。というのは、若い時に、学校の教師やスポーツのコーチをはじめとしたえらい人には質問しないように教えられたからだ。しかし、われわれは市民として、なぜわれわれは今していることをするのか、なぜわれわれは自分たちの生活や仕事の方向を決めている他人に従わなければならないのか、必ず疑問に思うべきだ。われわれは、自分たちの手で社会を自分たちに最もよく合うように再建する手助けをするため、答えを見つける必要がある。
私の六〇年代の知人たちは、ほかに選択肢はないのだから、そういう問題をじっくり考えても意味がないと、おそらく考えただろう。彼らは、ただ生きるために給料を稼がなければならなかったので、また、別の会社で良い仕事を見つけることも期待できなかったので、現在の仕事が最も大切だと信じることが最も道理にかなっていると考えたのだ。これは、一応よく考えたうえでの結論だっただろう。
しかし、私は、ほとんどの日本のサラリーマンがここで考えをストップしてしまい、自分の生き方にかかわる重要な問いをみずからに発しないのは不幸だと思う。私の会ったサラリーマンたちは、自分が置かれている境遇しか見ようとしなかった。彼らは、日本経済の成長に関心が深いという点で非常に愛国的に見えたが、実際には、私がそうあるべきだと思っていた意味では愛国的ではなかった。彼らは、あまりに多くのことを当たり前のことと考えていたに過ぎなかった。〈148~149ページ〉
カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその五回目。
第二部「日本の悲劇的使命」の第一章「日本の奇妙な現状」は、非常に長く、49ページ分もある。この章からは、二箇所を引いてみたい。最初に紹介するのは、次の箇所である。
人類史上最も有名な「経済の奇跡」をもたらした推進力は何だったのか?
なぜ、日本国民は非常に多くの生きがいを犠牲にしてまで、ずっとこれを続けてきたのか?
この疑問を初めて自分に問いかけたときのことを私は覚えている。それは一九六〇年代半ばのころで、「経済の奇跡」はすでによく知られてはいたが、まだ今日ほど有名ではなかった。私は、日本人の知人グループと落ち合ったあと、東京の日比谷あたりを歩いていた。日本の知人たちは、日本経済、自分の会社、自分の仕事のことについて話していた。彼らのいちずな話しぶりに、私は突然、もし彼らが上司から自分の宝石類や家宝を資金として供出するよう頼まれたら、きっとそうするにちがいないと考えた。彼らの会話を聞けば、自分の会社の成功が彼らにとって世の中で一番重要なことらしいと、だれだって結論するしかなかったろう。彼らは、敵の攻撃を受け祖国防衛のために召集された国民のみがもつ熱烈さをもって、日本経済にかかわっていた。日本人は男女の別なく、個人の自由と個人の利益が侵されるのを容認していた。これは、ヨーロッパばかりか、私が十代の後半を過ごしたアジア四カ国のいずれでも、私が思うに、行き過ぎとみなされるであろう寛容さだった。どんな特殊事情でそんなふうになったのか。
自分の生き方の理由を訊かれることは、多くの人を不愉快にさせる。逃れたい現実を直視させられるからだろう。それは、多くの日本人にとってはとくに不愉快だ。というのは、若い時に、学校の教師やスポーツのコーチをはじめとしたえらい人には質問しないように教えられたからだ。しかし、われわれは市民として、なぜわれわれは今していることをするのか、なぜわれわれは自分たちの生活や仕事の方向を決めている他人に従わなければならないのか、必ず疑問に思うべきだ。われわれは、自分たちの手で社会を自分たちに最もよく合うように再建する手助けをするため、答えを見つける必要がある。
私の六〇年代の知人たちは、ほかに選択肢はないのだから、そういう問題をじっくり考えても意味がないと、おそらく考えただろう。彼らは、ただ生きるために給料を稼がなければならなかったので、また、別の会社で良い仕事を見つけることも期待できなかったので、現在の仕事が最も大切だと信じることが最も道理にかなっていると考えたのだ。これは、一応よく考えたうえでの結論だっただろう。
しかし、私は、ほとんどの日本のサラリーマンがここで考えをストップしてしまい、自分の生き方にかかわる重要な問いをみずからに発しないのは不幸だと思う。私の会ったサラリーマンたちは、自分が置かれている境遇しか見ようとしなかった。彼らは、日本経済の成長に関心が深いという点で非常に愛国的に見えたが、実際には、私がそうあるべきだと思っていた意味では愛国的ではなかった。彼らは、あまりに多くのことを当たり前のことと考えていたに過ぎなかった。〈148~149ページ〉
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