◎音声的には「行カナイ」ではなく「行カニャー」
本日は、『月刊日本語論』第2巻第11号(1994年11月)に載った小泉保の論考「方言周圏論による原日本語の内的再構」を紹介してみたい。ただし、紹介するのは、最初の部分と最後の部分のみである。
一 東西方言境界線
私は少年時代を「越すに越されぬ大井川」の右岸にある島田市で過ごしたが、旧制中学校は東隣の藤枝市にしかなかったので、汽車で五年間通学した。ところが、隣町といっても言葉は大違いで、
(a) 西(島田市) 東(藤枝市) 連母音の融合
アカイ アキャー ai>ja:
シロイ シレー oi>e:
サムイ サミー ui>i:
連母音の融合について、はっきりした対立があった。
そこで、学校では「シラニャー」と言い、家庭では「シラン」と答えるというような具合に、夜昼で、違った言い方をしなければならなかった。
このため、大学に入ってから連母音の融合に注目するようになった。そして、連母音融合化の等語線は、島田市と藤枝市の間を抜けて南下し、駿河湾まで走っていると見当をつけた。
ところが、一九六六年出版の『日本言語地図』(国立国語研究所)第二八図「あかい」の項を見ると、静岡県の東部もほとんどが「アキャー」でなく、「アカイ」と記入されていたので失望した。おそらく、赤色の紙を見せて、「この色を何と言いますか」という調査員の質問に大方が「アカイ」と標準語で答えたものと思われる。方言の実態は、その中にあってじっくり聞きこまないと明らかにすることはできない。
牛山初男氏の『東西方言の境界』(一九六九)を参照すると、図1【略】のように「行カナイ」と「行カン」の等語線が、静岡県ではほぼ融合化と一致した形で縦走している。しかし、音声的に見れば、「行カナイ」ではなく、「行カニャー」であるべきである。また、「行カナイ」線は、山梨県では、甲府市の西側を通り、長野県では、松本市の南側を抜け、大きく蛇行しながら糸魚川に合流している。
『方言文法全国地図」第二集(国立国語研究所一九九一)で、動詞の否定に当ってみると、やはり「書カネー」という融合形が「行カナイ」の領域を埋めている。これこそが、連母音融合化の等語線である。この線は音韻的に日本の東西を分割する重要な等語線であると思う。
たしかに、岡山と名古屋付近に「アキャー」という融合形が見られるが、西日本の大半が「アカイ」と連母音形である。【中略】
二 比較言語学の限界 【略】
三 内的再構成による原日本語の復元 【略】
四 トンボの最構 【略】
五 縄文期における原日本語の成立
周辺言語との同系性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来、一万年の間に、この島国の中で独自に形成されたと考えなければならない。
日本列島が大陸と地続きの時代には、大陸から固有の言語を抱いた種族がこの島へ渡ってきたであろう。しかし、この国土には一五万年以上前から人類が住んでいたという考古学的確証がある。
とにかく、島国となった日本には縄文文化が醸成されてきた。これと歩調を合わせる形で、異質の複数言語が競合しながら次第に統一され原日本語が定立されたと考える。【中略】
六 アクセントの周圏論
アクセント型も同心円を描いて分布していることは、金田一春彦氏により指摘された言語事象である。
[東北] [関東] [中部] [関西] [中国] [九州] [沖縄]
東京式 東京式 東京式 京阪式 東京式 東京式 東京式
一型式 一型式 一型式
すなわち、内心が京阪式、中輪が東京式、外輪に一型式〈イッケイシキ〉、が散在している。
今までは、複雑な京阪式>単純な東京式>無アクセントの一型式、というように複雑なアクセント体系が中輪、外輪と外側へ延びながら崩壊したと説明されてきた。
しかし、アクセント型の分布も周圏論の立場で概観すれば、一型式の無アクセントが原日本語の基本的韻律であり、複雑な関西アクセントの簡咯化したものが中輪の東京式アクセントであるとする解釈も可能である。
最近の人類学的調査によれば、関西中心に新モンゴロイド系が集中し、周辺の東北・高知・九州南部・沖縄には古モンゴロイド系の形質が残っているという。これまた人種的周圏論である。
そこで、人種的周圏論をアクセント周圏論に重ね合わせると、次のような仮設が提起されよう。古モンゴロイドの言語とも言うべき無アクセントの原日本語が縄文中期頃から日本全土を支配していたが、縄文晩期もしくは弥生期に複雑なピッチ・アクセントをもつ新モンゴロイド人が渡来し、言語的には原日本語に同化したが、そのメルクマールとも言うべき声調をアクセントの型へと投影した。そして、彼等は政治的にも、文化的にも、日本の中枢を担うことになり、常に新しい言語波動を発出させつつ、周辺地域に絶えまない影響を与えてきたのではないかと思う。
実は、このように渡来してきた新モンゴロイド人の出自を探るある糸口がある。安本美典〈ビテン〉・本多正久氏の『日本語の誕生』(一九七八)の中の表二八「東京方言と有意の一致の見られる外国語」として、カンボジア(六四)、中国語北京方言(五八)、中期朝鮮語(五六)の順位になっている。括弧の数字は二〇〇語に対する一致数を示す。前二言語は共に声調言語である。この辺もひとつの候補となろう。
七 まとめ
他の周辺言語との接触を絶って一万年、一万年という数値は比較言語学の射程をはるかに越えている。日本列島の中で孤立して成長してきた原日本語を復元するのには、ここに紹介した内的再構法によるしかない。
しかし、比較方法を寄せつけない言語は世界にいくつもある。モンゴル語、チュルク語、ツングース語および朝鮮語はアルタイ語族に一括されているが、G・J・ラムステッドやN・ポッペなど碩学〈セキガク〉の懸命の努力にもかかわらず、基本語彙が相互に食い違っていて、規則的な音声対応を認めることが困難である(九九頁のe表【略】参照)。アルタイ諸語も孤独な一万年級の言語であるかもしれない。 (こいずみたもつ・言語字)
小泉保の『縄文語の発見』(1998年初版)の原型として位置づけられる論考である。ここで小泉は、「一型式」アクセントに言及しているが、やはり、山口幸洋の名前は出てこない。
アクセントの話は、まだ先がある。しかし、同じような話が続くのもどうかと思うので、明日は、いったん話題を変える。