◎日本語のアクセントは高低二種類だけ
金田一春彦『日本語』(岩波新書、1957)から、「日本語のアクセント」の項を紹介している。本日は、その二回目。文中、太字は、原文のまま。
とにかく、日本語のアクセントは高低アクセントである。高低アクセントは前述のように外国の言語にも珍しくない。そういう中で、日本語のアクセントはどういう特色をもっているか。
第一に、日本語のアクセントは、前節でちょっとふれたように、高低二種類の段から出来ている。
ハシガ(箸が)――高低低型
ハシガ(橋が)――低高低型
ハシガ(端が)――低高高型
これは、他の国語に比べて段の数が少いことを意味する。パイクによると、セチュアナ語、 ミクステコ語は高中低の三段からできており、マザテコ語は最高・中高・中低・最低の四段からできているという。日本語は、最小限度の段しかもっていない。
第二に、日本語で高低の変化はおもに、一つの拍から次の拍に移るところで起こる。たとえば、東京語のハシガは、ハからシへ移るところで声が下り、ハシガでは、ハからシへ移るところで声が上り、シからガへ移るところで声が下る。一つの拍の中で上ったり下ったりすることはない。
シナ語などでは、たとえば、アルシーアル(二十二)は、三拍の語であるが、アルの中で声が高から低へ下り、シーの中で声が低から高へ上り、終りのアルの中で、声がまた高から低へ下る。グロータース神父が、シナ語は歌っているように聞え、日本語は一本調子に聞えたというのはいかにもそうだったろう。
第三に、日本語では、高低の配置にかなりの制限がある。例えば、東京語の四拍の語にあるアクセントの形式は、カマキリ、アサガオ、カラカサ、モノサシの四種類だけである。イギリスの女流音声学者I・C・ウォードによると、西アフリカのイボ(Ibo)語では、三拍の語のアクセントに、次のような種類があるという。
osisi(棒) uketa(犬) nketa(対話) nnene(鳥) ndede(葡萄酒) udodo(蜘蛛) onoma(みかん) otobo(河馬)
ここには、高と低との、あらゆる組合せが見出される。これに対して東京語のアクセントは、
⑴ 第一拍が高ならば、第二拍はかならず低。第一拍が低ならば、第二拍はかならず高。すなわち、第一拍と第二拍とはいつも高さがちがう。
⑵ まんなかの第二拍が低で、第一拍と第三拍が高ということはない。つまり高の拍がはなれて二箇所に存在することはない。
という制限の中に存在する。
このようなことから日本語のアクセントでは、型の種類がきわめて少数に限定されるわけだ。そこで、日本語では、〈アクセントによって区別される語はそれほど多くない〉という結果が生ずる。「工業」と「鉱業」、「市立」と「私立」。これらは、アクセントで区別されたらどんなによかろうと思われるが、たいてい同じアクセントをもっており、何という働きのないアクセントよ、とののしりたくなる。三拍の語の中から、オヤマ(小山―地名)、オヤマ(女形)、オヤマ(霊山)、オカシ(岡氏)、オカシ(お菓子)、オカシ(お貸し)というような、アクセントで言い分けられる同音語の例を探し出すのは、相当に骨が折れる。【以下、次回】