◎政府は戦争の罪を国民に謝すべきである(つださうきち)
『八月十五日と私』(角川文庫、1995)から、つださうきち「八月十五日のおもいで」を紹介している。本日は、その二回目。
放送せられた詔勅は、鈴木〔貫太郎〕総理大臣の告諭というものと共に、翌十六日の新聞で読んだと思う。詔勅というものは、そういう形式をもった一種の公文書であって、国務大臣の副署によって始めて成りたつものであるから、その内容についてはいうまでもなく、辞句についても、すべて内閣が責任をもつものであり、従ってそれは時の内閣の政策なり見解なりを示したものであると、前から考えていた。文体からいっても、何人かが特に執筆起草するものであることは明かである。今度の詔勅を陛下が御自身に放送せられるのは異例であったが、前の日の十四日の日づけで既に公布せられたことになっているから、詔勅という公文書としては、このことに大なる意味は無い。御自身に朗読せられる点に於いては、政府の政策の含まれている詔勅を議会で朗読せられるのと同じである。こういう考で新聞に載せられた総理大臣の告諭を詔勅と対照しながら読んだ。そうして政府の国民に対する態度について、いろいろの不満を感じた。その一つは、ずっと前から、どの点から見ても、戦争を継統することができなくなっていた事実、根本的にはいわゆる「大東亜戦争」、溯ってはシナ事変満洲事変を起したのがわるかったことを、率直に告白し、戦争の罪を国民に謝すべきであるのに、それをしないことである。告諭に新爆弾の使われたこととソ聯の参戦のこととがいってはあるが、そうなるまでに連戦連敗したことについては、ただ「戦争また必しも利あらず」という曖昧な一語があるのみであり、世界の情勢ソ聯の態度を今の内閣が見あやまっていたことについては、何もいってない。国民を欺瞞するといっては、いい過ぎかも知れぬが、この場合になってもなおこういう態度であるのが、むしろふしぎに思われた。却ってポツダム宣言の或る場所に於いて、政府がいうべくしていわなかったことをはっきりいってくれたような気がする。
次には、すべては政府の責任であることを明かにせず、ともすれば陛下を表に立ててものをいおうとする態度のあることである。憲法の規定上、宣戦が詔勅の形に於いてなされたのであるから、戦争をやめるのも同じ形によらなくてはならないのであろうが、告諭に於いて、それを聖慮聖断によるとし、何ごとをも大御心〈オオミココロ〉に帰するのは、立場をかえていうと、開戦もまた聖慮聖断に出たものであり真の大御心であったとすることになりそうなのでこういういいかたは、戦争の責任が陛下にある如く、国民にも世界にも思わせることになるのではなかろうか。さすればこれは、これまでの軍部の手をかえ品をかえて宣伝したことの継続であって、「承詔必謹」というような語にもそれは現われている。後にいろいろの人の書いたものによって知ったことであるが、ポツダム宣言の受諾の最後の決定は、事実、いわゆる御前会議の際に於ける聖断によったのであって、総理大臣はそれについて自己の意見を述べず、聖断を仰いだらしい。もしそうならば、国民はこの聖断によって始めて救われたのであるが、しかし政治上のすべての責任をとらねばならぬ総理大臣の態度としては、これはその職責をわきまえざるもの、憲法の精神に背くものであろう。総理大臣としては閣議によってそれを決定し、そうしてその御裁可を仰ぐべきであったと思う。(裏面に於いてどういうことが行われていたかは、別として)。この御前会議の模様が、この日の新聞に見えていたかどうかは、おぼえていないが、多分、何ほどかの記事はあったであろう。しかしそれとは別に、告諭の文面の上から、上に記したように感じた。国体護持ということが特に強い調子でいわれているのも、このことと関聯して、異様の感があったが、これもまた戦争は国体の護持のためだという、敗戦になりかけてから特に強められた軍部の宣伝の引きつづきのように見られる。政府はポツダム宣言をうけ入れるにつき、聯合国に対して国体に関する申入れをしたということであるが、それは、戦争についてこういうことの宣伝せられていたことが、思い出され、少くとも政府や軍部の態度が、戦争を起したのは天皇の責任でありまた天皇と離るべからざるものであるかの如き印象を、聯合国に与えたのではないかと、それを気づかったからのことではなかろうか。もしそうならば勿論のこと、そうでなくとも、この場合、政府は内外に対し、この点についての誤解の無いようにするために、戦争をしたのは陛下の御志ではなく、また国体とは何の関係も無いことであり、全く政府の罪であることを明かにすることが、必要であるのに、それをせず、却ってこういうことをいっているのが、これもまたふしぎに思われたのである。聖徳の宏大をいい陛下の御仁慈をいうのも、ことさらめいていて、この場合のこととしては、ふさわしからぬ感じがせられた。【以下、次回】
文中、カギカッコ「戦争また必しも利あらず」という部分があるが、これは、終戦詔書の不正確な引用であって、正しくは、「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス」である。