◎起とう、やり直すのだ(大佛次郎)
本日は、大佛次郎が敗戦直後の8月17日に発表した文章を紹介してみよう。出典は、大佛次郎『終戦日記』(文春文庫、2007)。表記は、文春文庫版のとおり。
大詔【たいしよう】を拝し奉りて 大 佛 次 郎
御大詔を拝し奉り日本人の誰か涙をおぼえなかった者があろうか、言葉はない、もっと深い苦悩を背負わされている方が畏【かしこ】くも上御一人〈カミゴイチニン〉だという事実に恐懼〈キョウク〉し戦慄せざるものがあったろうか、われわれは不幸と苦難を約束せられている、しかしこれが何で問題であろうか。
われわれの周囲は焼野だ、また祖先の前に立たせても恥しからぬ美し〈ウマシ〉若者たちが数多く死んだ、われわれが仆【たお】れる代わりに実に彼らが血を流したのである、神州の不滅を信ずるとその人々の声は繰返し伝えられた、その人たちを戴いたきのうときょう、われわれは別れねばならぬ。
起とう、やり直すのだ、父祖の百年の努力を破壊したおのれらがより堅固な日本を築きあげて、今上陛下の御代〈ミヨ〉を後代に輝くものとせねばならぬ、戦争以上の勇気と犠牲とが需【もと】められている、男らしくわれわれは立直ろう、今日からはおのれ自身との戦争おのれ自身との対決である、何が足りなかったか? 何が間違っていたか? 冷静にこれを見届けるのだ。
感傷は抜きだ、私意に溺れてはならぬ、己との対決は外国相手の戦争以上に苦しく我慢の要るものだということも今更覚悟しよう。
若い人、小さい人たちには一層高い矜持【きようじ】をもってもらいたい、日本民族は君たちによって生かされる、不幸にしてわれわれは敗れた、しかし、この不幸を民族を育て上げる基盤として生かすのだ、堪え難きを忍び冷厳に次代に期待しよう、日本は歴史は古いが民族としては若い、若々しい力に溢れている、最近の百年の歴史を見ても如何に若く柔軟の活力に富んでいるかの証明を幾らでも見出すことができる、また若いから今日躓【つまず】いたのである、しかし転【ころ】びはしない、若い筋肉は直ぐ平衡を取戻す、ベルリン陥落後のドイツ国民は意志力をなくして虚脱状態に陥っていたという、そうなっては滅びるよりほかない、日本は若いいま生れたばかりの赤ン坊のように新鮮に未来のみを見つめてこの若さを発揮しようではないか、勉強しよう、腕まくりをして働こう、立派に起ちなおって見せようではないか。(三社聯盟・現三社連合――北海道新聞、中日新聞、西日本新聞の三紙――昭和二十年八月十七日)