◎日本民族が敗けたわけではない(年級隊長)
角川文庫『八月十五日と私』(1995)から、小松左京の「昭和二十年 八月十五日」を紹介している。本日は、その四回目(最後)。傍点は、太字で代用した。
しかし、そのときはみんな頰【ほお】をはれあがらせながら仕事にもどった。――そして、一時間もたたないうちに、他の工場の連中がかえりじたくでやってきた。変に気おいたった様子だった。
「なんや? ――もうかえるんか?」と、私たちはいった。
「ええなァ、どないしてん?」
「なにいうとる! ――お前ら知らんのか?」と、連中の一人は、興奮した口調で吐き出すうようにいった。
「日本は敗けてんぞ! もうこんなもんつくってもしかたがあるかい。やめてまえ、やめてまえ!」
そういうとその連中は、勝手に配電室におしいり、電源をきってしまった。日本は敗けた、という声のない情報は、たちまち工場全体にひろがった。――私たちは、やめや、やめや、といって作業をおっぽり出し、荷物を持ってて外へ出た。
出た所でする事はなく、海べりの堤防の所に集まってうろうろしていた。――つよい、夏のひざしの中で、いまのいままでやかましい音をたてていた巨大な工場群が、はしのほ うから次々に静まりかえって行く光景は、なんだか異様なものだった。一つの工場の音が 消えるたびに、なかから、中学生や工員がぞろぞろ出てきて、所在なさそうに空を見あげ、ぼそぼそ話しあうのだった。私たちは、ぼんやり海をながめていた。戦争は終わった、日本は敗けた、それはたしからしい。が、それがいったいどんな事なのか、ちっとも実感がわかなかった。そのうち、教師がやってきてみんなを集めた。――日本は敗けたが、だらだらしていいわけではない。今日はこれで帰宅するが、おって学校からの指示をまて。解散。
すると、上級生のクラスの「年級隊長」がとび出してきて、演説をぶちはじめた。――日本は敗けたが、日本民族が敗けたわけではない。神州は不滅である!
しかし、もう誰もきこうとはしなかった。ぐずぐずくずれ出した列の中から一人がどなった。
「アホ! ――やめとけ」
それが合図のように、みんなは足をひきずって思い思いのほうに歩き出した。「明日泳ぎに行こうか?」と誰かがいった。
*出典『やぶれかぶれ青春記』勁文社、一九九〇年