礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

老練なバス運転士を優遇されたい(宮本晃男)

2021-02-10 05:52:59 | コラムと名言

◎老練なバス運転士を優遇されたい(宮本晃男)

 昨日は、『自動車の実務』第二巻第一号(一九五二年一月)から、宮本晃男のエッセイ「九州の旅で」というエッセイを紹介した。本日は、そのエッセイについての雑感である。
 宮本晃男が乗った、山鹿発、熊本行きのバスには、ハンドブレーキ(サイドブレーキ)がなかったという。「ボロボロ車」どころの話ではない。完全な欠陥車である。
 敗戦直後は、こんな欠陥バスが、超満員の乗客を乗せて走るという現実が、全国どこにでも存在したということだろう。
 一九四七年(昭和二二)九月、高知県長岡郡大杉村で、バスが死傷事故を起こした。このバスには、巡業中の美空ひばり(当時、一〇歳)が、母親とともに乗車していた。この事故で彼女は、手首を切る重傷を負い、一週間ほど入院したという。このときのバスも、おそらくは代用燃料車であり、しかも、相当なボロバスだったと推定される。
 さて、最初に宮本のエッセイを読んだとき私は、そこに登場する老練運転士の「ワザ」に注目した。『ワザと身体の民俗学』(批評社、二〇〇八)の「あとがき」で、このエッセイを引用したのも、この運転士の「ワザ」を強調したかったからであった。
 しかし、いま改めて、このエッセイを読んでみて、筆者の宮本晃男が言いたかったことに、初めて気づいた。筆者は、敗戦直後、九州の老練運転士が示した「ワザ」を引き合いに出しながら、バス会社の経営者に向かって、「老練な、運転技術の一芸に通じた老練な運転士を優遇されるよう」訴えようとしたのである。
 ちなみに、このエッセイの載った『自動車の実務』第二巻第一号の全体に目を通してみると、「昭和26年はバス業界にとっては」、「多数の人命を損傷させた大事故を度々引き起こして社会的に非難を受けた年」であった旨の記事がある(一九ページ)。また、「賃金競走〔ママ〕は運転者の素質を低下する」というタイトルで、運転士の賃金切り下げ競争がおこなわれていることを批判する記事も載っている(四七ページ)。
 おそらく宮本は、運輸省技官という立場上、バスの経営者が「経験が浅くて給料の安い運転士」を使いたがり、そのことによって、「重大事故で数千万円と金に代えられぬ貴重な人命をそまつにする」事態が生じていることを把握していたのではあるまいか。
 なお、一説によれば(インターネット情報)、美空ひばりが乗ったバスの運転士は、事故の直前、わき見をしていたために、前から来たトラックを避けきれなかったという。この運転士の年齢や運転歴を知りたいところである。
 明日は、石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の紹介に戻る。

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