礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「ヤミに消えた錦旗革命」について(石橋恒喜)

2021-02-11 01:23:09 | コラムと名言

◎「ヤミに消えた錦旗革命」について(石橋恒喜)

 石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の紹介に戻る。本日以降、同書の上巻から、「錦旗革命」関係の記述を、何回かに分けて紹介してみたい。
「錦旗革命」とは、一九三一年(昭和六)一〇月に起きたクーデター未遂事件で、今日では「十月事件」と呼ばれることが多い。
 本日、紹介するのは、上巻の「六 独走する関東軍」の章の最後の節、すなわち、〝「錦旗革命」陰謀発覚〟の節である。

 「錦旗革命」陰謀発覚
 十月十七日の払暁、私は非常呼集の電報でたたき起こされた。参謀本部の中堅将校による大クーデターの陰媒が発覚、首謀者は今暁いっせいに検挙されたというのだ。この日は国祭日〈コクサイジツ〉の神嘗祭〈カンナメサイ〉。社会部員は懇親旅行のため前日から千葉県の佐原へ出かけていて、私は留守番役。のんびり家庭サービスをすることになっていた。大クーデター計画とは、寝耳に水のオドロキだ。あわてて三宅坂へ車を飛ばした。
 すると、陸軍省も陸相官邸も、憲兵が右往左往している。たちまち門前でつかまった。部外者は立ち入り禁止だという。顔見知りの門衛が記者クラブ員であることを証明してくれたので、ようやく無罪放免。すぐ新聞班へ駆けつけた。
「逮捕されたのはだれとだれか……」
 居並ぶ将校たちに聞いてみたが、一同ニヤニヤしているだけで、さっばり手ごたえがない。ベソをかいた私の顔を見て同情してくれたのか、班員の大久保弘一大尉が耳打ちしてくれた。
「参本の露班(ロシア班)と支那班をのぞいてみたまえ……」
 すぐ参謀本部へ足を向けた。ドアを押して入ると、室内はガランとしている。たった一人、砲兵大尉の将校がたばこをくゆらせていた。
「逮捕されたのはだれとだれか……」
 ここでも同じ愚問を繰り返したが、大尉は撫然【ぶぜん】たる面持ちで取り合ってくれない。私はしつこく食い下がった。とうとう大尉も手を焼いたのか、部屋の片すみにある湯のみ茶わん置き場を指さした。 
「あの茶わんを調べてみたまえ。伏せてある茶わんが事件関係の方たちのものだ」
 これはうまいヒントを与えてくれたものだ。なぜかというのに、そのころ参謀本部員たちの湯のみ茶わんは、すし屋で使っているような無骨なもの。それには「〇〇少佐」とか「××大尉」といったように、専用者の名前が焼き込まれていたからだ。まさしく地獄で仏に会った思いである。この親切な大尉の顔はいまでも忘れられない。が、つい名前を失念してしまったのは残念である。
 これで手がかりはつかんだ。こうなると事件の概要はだんだん分かってくる。逮捕されたのは、ロシア班長の橋本欣五郎中佐、支那班長の根本博中佐をはじめ、北京公使館付武官補佐官の長勇〈チョウ・イサム〉少佐、参謀本部の馬奈木敬信〈マナキ・タカノブ〉(少佐)、同・影佐禎昭〈カゲサ・サダアキ〉(少佐)、同・藤塚止戈夫〈フジツカ・シカオ〉(少佐)、同・和知鷹二〈ワチ・タカジ〉(少佐)、同・小原重孝〈オバラ・シゲタカ〉(大尉)、同・田中弥〈ワタル〉(大尉)、同・天野勇(中尉)と陸軍技術本部の山口一太郎大尉、近衛歩兵連隊付野田又雄〈マタオ〉中尉ら十余名。山口は東大理学部出身の技術将校で、本庄〔繁〕関東軍司令官の女婿であるという。
 私はすぐ自動車を大森の橋本宅へ飛ばしたが、玄関はくぎづけになっていて、人の気配はない。それにびっくりしたのは、中堅将校でありながら、住まいの極めて質素だったこと。おそらくクーデター計画に打ち込んで、家庭をかえりみるいとまもなかったらしい。私は再び陸軍省へ取って返して、省内を駆け回った。桜会の代表で、調査班長の坂田義朗〈ヨシロウ〉の部屋ではねばりにねばった。人のよい中佐は、とうとう音を上げてしまった。
「橋本中佐はわしや樋口中佐(季一郎)をダラ幹扱いしていたので、くわしいことは知らないよ。わしもうち(調査班)の田中大尉(清)からのまた聞きに過ぎないからね……」
 そこで、革命計画の概要を聞けば聞くほど、大規模なのには慄然【りつぜん】とした。もしも、これが決行されていたとすればどうなったか。まさしく屍【しかばね】の山、血の海―身の毛もよだつ惨劇が演じられたであろうことは間違いがない。われわれ記者クラブでは、これを〝錦旗革命〟(十月事件)と呼んだ。
 軍当局が狼狽【ろうばい】したことはいうまでもない。新聞報道は「永遠に差し止め」だという。都合の悪い問題は国民に知らせまいという魂胆である。ロシア班の金庫の中に隠されていた革命計画書や連判状は、焼き捨てられた。これで未曽有の陰謀も、ヤミからヤミへ葬り去られたのである。では、〝ヤミに消えた錦旗革命〟とはどんな事件だったのか。

 ここまでが、「六 独走する関東軍」の章。次回以降は、「七 不発に終わった錦旗革命」の章を紹介する。

*このブログの人気記事 2021・2・11(10位になぜかパール判事)

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