◎ソビエト映画『イワン雷帝』とウクライナ戦争
昨年の三月一四日のブログに私は、「この戦争下で観るべき映画」という記事を寄せた。そこでは、「ウクライナ戦争」の下で、私たちが観るべき映画として、『博士の異常な愛情』(コロンビア、一九六四)、『インナー・サークル 映写技師は見ていた』(コロンビア、一九九一)、『ヒトラー~最期の12日間~』(ドイツ、二〇〇四)の三本を挙げた。
数日前、私は、エイゼンシュテイン監督のソビエト映画『イワン雷帝』(一九四四~一九四六)を鑑賞した。そして、この映画こそ、この戦争下において、まっ先に観るべき映画であろうと思った。
なぜか。それは、この映画が、ロシアという国家とその国民が抱いている集合意識(被害者意識を含む)を巧みに表現しているからである。
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イワン雷帝(イワン四世、一五三〇~一五八四)は、第一部の中で、次のように語っている。
「狡猾な近隣諸国がモスクワの繁栄に反発して、わが国の商業を妨害するなど絶対に許さぬ。」
また、第一部のラストでは、次のように叫んでいる。
「ローマは二度滅びた。第三のローマ=モスクワは不滅だ。そして第四のローマはあり得ぬ。……馬を用意せよ。モスクワへ帰る。偉大なる大ロシア帝国のために。」
ロシア帝国は、「第三のローマ帝国」として、世界に君臨しなければならないという強大な自負である。
第二部の冒頭では、ポーランド国王・シギスムント(ジクムント二世アウグストのことか)が、貴族らを前に、長い演説をおこなっている。これは、西欧の対ロシア観を余すところなく示すものになっている。
「神の御意でポーランドやリヴォニアはヨーロッパの防波堤と定められている。モスクワの者どもは、西欧の文化的諸民族の一員とは認められない。
ロシアの大地は豊饒だ。家畜は肥え、地下資源も豊富だ。ロシア人は農民でいればよい。
だのにモスクワの玉座にいる男が、ヨーロッパの君主たちの夢を脅かすのだ。
我々はモスクワを西欧諸国に服従させる。ロシア人をヨーロッパからアジアへと放逐しよう。」
ロシアは、みずからを世界に君臨すべき帝国として位置づけている。その一方で西欧は、ロシアを、西欧に服従すべきアジアの後進国として位置づけている。容易ならざる「ギャップ」である。もちろん、ロシアは、そのギャップに気づき、苦しむのである。
ロシアという国における、こうしたギャップは、二十一世紀の今日においても解消していない。今回のウクライナ戦争を引き起こしたものは、究極的には、こうした「ギャップ」ではなかったのか。
これより先、私は、小泉悠氏の『ウクライナ戦争』(中公新書、二〇二二年一二月)を買って読んだ。たいへん勉強になった。この本は、ウクライナ戦争について学ぼうとする者にとっては、「必読書」であろう。しかし、この本は、「軍事的側面」の話が中心であって、この戦争における「歴史的側面」を教えてくれる本ではない。この戦争の「本質」を示唆している本というわけでもない。私は、この本を三日かけて読んだが、そのインパクトは、三時間かけて観た『イワン雷帝』のインパクトに、遠く及ばなかった。
映画『イワン雷帝』を私は、IVC(株式会社アイ・ヴィー・シー)のDVDで鑑賞した。第1部と第2部を収めて、計184分。定価は1800円。ただし今日、この映画は、「ニコニコ動画」というもので鑑賞できるらしい。