礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新渡戸先生にスウェタを買えとすすめられた

2023-05-27 00:28:01 | コラムと名言

◎新渡戸先生にスウェタを買えとすすめられた

 田中耕太郎『教育と権威』(岩波書店、1946)から、エッセイ「新渡戸先生と倫敦の思ひ出」(初出、1939)を紹介している。本日は、その二回目。
 昨日、紹介した部分のあと、三段落分を割愛して、次のように続く。

 先生は夕食の後によくスタウト〔黒ビール〕を飲んでゐられた。私はスタウトと云ふ名を先生から教はつた。私は先生は厳格なクリスチャンだから酒なんか飲まれないと思つてゐたから、これはいさゝか意外に思はれた。然し先生の人間らしさをかういふ所にも見出して一層親しみ易く感じた。先生には不眠症の傾きがあつたと見へて、これを飲むとよく眠れると云はれた。私はその後今日に至るまで、ホテルに宿泊しなければならないやうな機会に、自分が不眠症とは凡そ縁遠いのに拘らず、時々スタウトを命じて倫敦に於ける新渡戸先生を偲ぶのである。
 スウェタをチョッキの上に着ることはその頃まで日本にはまだ大して流行してゐなかつた。先生が着ると暖いから是非買へとすゝめられ、私は先生が着てゐられるものの半値位の品を買つた。それは二十年にもなるのに今日まだ用を為してゐる。流石〈サスガ〉は英国製のものだけあつて丈夫である。同様に先生に是非必要だとすゝめられた大枚二十ギニイも出して買つた燕尾服は留学生の身分として滞欧三年間全然着用する機会がなく、それは帰朝後十何年も箪笥の中に不遇をかこつてゐた次第である。
 先生の倫敦に於ける独身生活は実にのびのびしたものであつた。よく日本食や支那飯を喰べに行かれ、私もその都度御伴をした。先生が案外バタ臭くないことも私には新発見あつた。劇場にも随分よく一緖に出かけた。先生は沙翁劇〔シェイクスピア劇〕が好きであつた。私などには不相応に高い劇場の切符の方は先生が買はれ、私の方では安価なコンサートの切符を受け持つた。但し先生は私がしつこくすゝめたのに拘らず音楽に大して関心を示すやうになられずに終つた。沙翁劇が外〈ホカ〉でやつてゐないときは、我々はそれが何時でも見られる河向ふのオールド・ヴィックに出かけたものである。そこでヘンリー四世とかリチャード三世と云つたやうな他ではあまり見られないやうなものも見ることが出来た。
 かうして私は先生と全く心置きなくなつてしまつた。先生は銀製の物が好きであり、よく銀器店を素見した。先生はナプキン・リングを交換しようと云はれた。先生からいたゞいたのをその後愛用してゐたととろ、南伊のアマルフィの宿屋に置き忘れ、返送してくれるやうに送料付でたのんでやつたが、全然音沙汰がなかつた。かゝる好個の記念品を失つたのは返す返すも残念である。〈135~137ページ〉【中略をはさんで、次回】

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