風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

予備にしてそれ以上

2011-02-08 02:07:04 | Weblog
腕時計を二つ用意するのは、試験の前の儀式的なイベントではないでしょうか。

万が一、今使っている腕時計が試験中に止まっても焦ることのないよう、
もう一つ腕時計を用意することにしました。


安物の時計を買おうかなとも思ったんですが、
机の引き出しの中に止まったままの腕時計があったのを思い出しました。
さっそくそれを時計店に持って行って、電池交換してもらいました。

うちの近所にある、小さな時計店。
待つ場所も、人がかろうじて一人いられるだけのスペースに丸椅子が一つあるだけ。

でも、個人的にはこういう狭さは嫌いじゃありません。

あることは知っていましたが、入るのは今日が初めて。
どこかおねえ口調っぽいおじいちゃんがが対応してくれました。笑

「デジタルのほうが合わせられなかったから、後であわせといてくれるぅ?」

不必要なほどににこにこしていたので若干怖かったです。
僕はそっちのけのある人には割ともてるので・・


考えてみたら、この時計を買ったのは15年前。
ずいぶん長い間一緒にいるんだなと、時間の流れに思いをはせました。

 

ナーバスになっても仕方ないと思えたので、今は割と気楽です。
落ちたら落ちたでその時にその後の身の振り方考えればいいやって。

・・暖かい日が続いてくれるといいな。

「2大キー・ワード」

2011-02-06 01:45:28 | Weblog
そろそろうんざりされそうだけど、
この前読んだ「村上朝日堂 はいほー!」の
「恋に落ちなくて」を読んで思ったことを少し書きます。


そのコラムの中に、人生(特に中年以後)における人生の2大キー・ワードは
「そういうものだ」と「それがどうした」だとありました。

電車の扉が間一髪のところで閉まったら「そういうものだ」
そのせいで待ち合わせに遅れることになったら「それがどうした」

・・という風に使うのだと―。


僕なんかはなるほどなと思いましたが、こういうのが嫌いな人は少なくないでしょうね。
妥協は人を成長させないと―。

筆者も、こういう精神でいれば気楽ではあるけれど、
人間的にはまず向上しないと注意しています。

 

この考え方が嫌いな人はきっと強い人です。

だけど、世の中強い人ばかりじゃありません。

「あきらめたらそこで試合終了」だとしても、
諦観はひとつの救済であって、それによって解放されることがあるのも事実。
弱い人間は、その弱さをカバーする手段を講じなければ生きていけないんです。
それを必要としない人には分かってもらえないかもしれないけど。


すり減ってざらざらした気持ちをしずめるために、
時にはこういう考えに浸ってみるのも悪くない…
少なくとも非難されるようなことではないと思うわけです。

もちろん、行きすぎは禁物ですが。