最近、暇な時間を見つけては「海辺のカフカ」を読んでいます。
この小説は、僕がはじめて読んだ村上春樹でした。
ずいぶんとまぁ開けっぴろげな性描写が出てくるものだと驚いた記憶があります。
改めて読んでみると、やっぱり面白いです。
ブックカバーをかけたまま一向に進まないサリンジャーの短編集よりよほど・・。
最新刊も、この出版業界の不況の中にありながら尋常じゃない売れ行きだそうですね。
ここまで売れるのはやはりそれだけの理由があるってことなんでしょう。
僕が思う村上春樹の魅力は、なんといっても物語の中にちりばめられた思想。
一度読んでひっかからなかった表現も、後に読み直したときに強い印象を残すことも少なくありません。
時間を置いて読み直すとそういう楽しみがあっていいですよね。
『幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ。
トルストイが指摘しているとおりにね。
幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。』
一種類と千差万別という表現は覚えがあるんですが、
寓話と物語という対比もトルストイオリジナルのものなんでしょうか。
幸福とは寓話であり、不幸とは物語である・・か。
とても興味深い言葉だなぁと思いました。
最初は逆も成り立つんじゃないかと思ったけど、やっぱりそれはないですね。
自分はハルキストではないと思っています。
が、久々に「カフカ」を読むと、その場面場面で「ぁ、あの短編にも似たシーンあったな」とか
「このせりふ、ほとんど同じ形で使いまわされてるな」とか
こういう性的なコンプレックスを抱えた主要キャラクターが出てくるのはあれとあれ・・と言ったことを
自然に考えてしまうようになりました。
いつのまにかどっぷり染まってしまった気がします・・
世の中にはそういう人、いっぱいいるんだろうなぁ。
最後にくだらない子供じみたことを。
この小説の中で、「ナカタさん」は「ジョニー」に出会うことで大きく人生を狂わされてしまいます。
この出会いは、物語の中で重要なキーとなっています。
最初読んだときは、僕が将来ジョニーと呼ばれるようになるとは思ってもいなかったし、
「ナカタさん」に出会うとも思っていませんでした。当たり前ですが。
今、改めてこの偶然の一致に気がついて一人ニヤニヤしています。
この前の「アフターダーク」のときにも感じましたが、
この小説に出てくる登場人物は全て架空の人間であり…の断りって重要ですね(笑)