大抵の場合、漫画の主人公は、他の登場人物とは違った特別な存在として描かれますよね。
往々にして何らかの能力を持っていることが多いような気がします。
「能力者」(あるいはそれに準じた単語)ってどれだけの漫画に出てきたことやら。
全ての人にとって、自分は自分であるというだけで特別な存在。
だけど、もし今の自分にはない能力を持っていたとしたら・・・と言うありがちな願望が
そういうステレオタイプの物語を量産しているんでしょう。
そういうフィクションに色々な筋書きがあるように、
一言に能力と言っても色んな種類の能力があります。
高い社交性を持っているというのも一つの能力だと考えられるし、
ただひたすら体が丈夫というのもまた然り。
評価の方法によっても色々変わってくるでしょうが、
大抵の物事はプラスの側面を備えているもの。
それらは全て能力だとみなすことができると思います。
偏差値というのもひとつの能力の目安。
ものさしとして用いるにはかなり偏りがあるものですが、
汎用性の高い評価方法には違いありません。
それが高い人たちの中には、頭のいい有能な人たちがいます。
自分の知人を考えてみてもそれは確実にいえます。
偏差値は有能な人間をスクリーニングする上では有用です。
だけど、それは偽陽性率の高いもの。
親の経済力などの影響をかなり強く受けるもので、
めっき加工されただけの偏差値はかなり多いと思います。
僕は自分の無能さに常々コンプレックスを抱いてきました。
いま自分が大学に通えているのも、親にある程度の経済力があったから。
さらに受験は運によるところもかなり大きいし、実際僕は幸運ゆえに受かったようなもの。
つまるところ、自分はめっき加工されただけで、
決して能力が高いわけではないのだと感じてきました。
これは卑下や謙遜ではないと思っています。
だって、車の免許取る上で避けては通れない道路交通法の試験・・・
あれに合格するまでにどれだけ苦労したことやら。
世の中の人の大半が軽くパスするあの試験に苦戦した自分は一体何なんだと―
自分の能力が高くないと改めて認識してから考えるようになりました。
実家が経済的にかつかつであれば、僕は絶対に苦学生なんかしていません。
家族のために自分が働かなきゃという理由よりも、
めっき加工されなければ進学意欲なんてあったかどうかも疑わしいから。
この前、バイトをしていた塾から源泉徴収表が届きました。
それによれば、去年の春先から秋のほぼ半年で稼いだ額は30万あまり。
思っていたよりもずっと大きい額でした。
それを見て最初に感じたのは、罪の意識。
僕はその金額に見合うことを果たしてしたんだろうか、と・・。
手を抜いたつもりはないけれど、少なくともめっきの加工職人としての職務は果たせていません。
少し前に、塾などにかける費用が下がっていると報道されていましたね。
それを見て驚いたのは平均額。
こんなにも使うのが当たり前なのかと・・・。
さらに、平均値と中央値が大きく違っているであろう背景を考えてぞっとしました。
親の経済力が全てとは言わないけれど、
これだけ学歴や偏差値が偏重される時代に
そういう格差が広がっているのはフェアじゃありませんよね。
色々なものに割り切れない感情がたまっていきます。