風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

国境の南、太陽の西

2021-01-30 00:39:55 | Weblog
昔読んだときはそれはまるで昔話のようでした。

話の筋としては理解できるけど、あまりに自分と遠いところにある架空の物語でしかないから今ひとつピンと来ませんでした。

久しぶりに読み返してみて、主人公のクズっぷりに衝撃を受けました。え、こんなひどい話だったっけ‥。同時に昔はそう感じなかった自分の感性にも驚きました。

国境の南、太陽の西。

ひとことで言えばどうしようもない不倫小説です。おまけにミステリーというかSF要素まで加わってどう読んだらいいかも分からず混乱するラストシーン。なんだこれ‥

村上春樹の主人公像が気持ち悪いという意見をしばしば耳にしますが、そんな人はこの小説は絶対受け付けないでしょう。
そしてなにより悲しいのはそんな主人公に自分を投影できるようになってしまったこと。
僕はこの最低な主人公とどれだけ違うんだろう‥むしろ共通項を探すほうが簡単じゃないかとさえ思います。

星新一のショートショートに、大人の不正を憎む地球の子供が数十年先に宇宙人と再会する話があります。大人になった子供たちはすっかり汚い大人に変わってしまっていたというアイロニカルなプロットです。

でも、そうじゃない人がどれだけいるんだろうかとあえて問いたい。

今思えばあんなことをするべきじゃなかった。そう思うことはたくさんあるし、そもそもその当時だって自分に非があることを十分自覚していた。今となってはどうしようもないことだけど、小説を読んでいて苦い記憶が呼び覚まされました。

この小説の内容についてドイツの文壇で大論争が起こったことがあるそうです。フィクションなんだからそんな目くじらを立てる必要はないじゃないかとは思いますが、それだけ読者の心をざわつかせる要素がもりこまれているということなんでしょう。

仕事のことでいつも以上にストレスを抱えているときに限って読後感の悪い本を選んでしまいました。それでも最後まで読み切ってしまう僕は認めたくはないけどハルキストなんでしょうね。

好みにあう本なら読んだことのない本も読んでみたいんだけど、探すだけの熱量がありません。面倒くさがりな性格が年とともにひどくなっている気がします。


ベルリンフィルのデジタル・コンサートホールを登録してみて

2021-01-17 20:26:29 | Weblog

ベルリンフィルのデジタルコンサートホールを登録しました。

 

僕の音楽の趣味はかなり偏りがある…というかなじみのある一部の曲くらいしか聞きません。自分の聞きたい曲を検索してすぐに聴けるこのシステムは僕にはうってつけです。そもそもクラシック曲ってオンラインの配信サービスはほぼありませんしね。youtubeでも魅力的な動画が少なくないものの、随所に挿入される広告にうんざりさせられます。お金を払うだけの価値があるかなと躊躇しているところこのベルリンフィルのサイトを試してみて、やっぱり専用チャンネルはいいなと思いました。

 

音の良さは正直分からないけれど、演者が感情豊かに演奏している映像をみるのは気持ちがいいです。弦楽器に関しては弓の動きを見るだけである程度満足できます(笑)。音楽は音だけを楽しむものではないなと改めて思いますね。料金はyoutubeより高いけど飽きたらやめればいいことだし、質の高いサービスにはそれに見合った対価が発生してしかるべきだと僕は思っています。

 

僕はおそらくイヤホンのせいで20の頃にはモスキート音が聞こえなくなっていたため、耳に何かつけて聞くことに抵抗があります。もちろんスピーカーで大音量で聴く方が好きなんですが、マンション生活で気兼ねなくそれをするのは難しいです。色々迷い、オーディオテクニカのオープン型のヘッドホンを買いました。かなり大きく、妻には聴力検査の見たいねと言われました(笑)。正直なところ見た目の割には期待したほどではなかったけれど、悪くはないんだろうと思います。

 

最近はブラームスとマーラーのシンフォニーを聴くことが多いです。ブラームスは4番が多く、マーラーは5番ばかり。マーラーの5番を聴くと少し元気が出ます。全部通して聴くほどの時間はないので、断片的に終楽章を聴くことが多いです。暗い葬送行進曲から始まって華やかで祝祭的な5楽章で終わること、4楽章を中心に妻との幸せな気持ちが散りばめられている曲であること、何より自分が20だった時に1年間練習した曲という思い入れがあります。

 

曲を聴いているとそれぞれの弦のパートリーダーの先輩の顔とか管楽器の先輩の顔が浮かぶんですよね。10年以上経ってこれだけ鮮明に思い出せる記憶を得られたことって幸せだなと思うんです。おそらく自分が今後オーケストラ編成の演奏に参加することはありません。そう思うと一層過去の記憶は暖かく感じます。僕は音楽そのものが好きというよりは、皆で一緒に曲を作り上げたその行程のほうが好きだったのかもしれません。


時間だけが平等というのなら

2021-01-05 23:28:52 | Weblog
時間だけが唯一皆に平等なものであると聞きます。

確かにそうだと思う一方で、残された時間が少ない人にとっての1日と、そうでない人の1日の重みは全く違います。そりゃ、時の流れは原則としてはみな一緒なのかもしれないけどさ‥

色々なことに制限を受けるこのコロナ時代。平等に与えられたこの時間を有効に使わないともったいないですよね。僕は基本的には外で活動するのが好きな人間ですが、インドアも好きです。親も登録したと言ってたベルリンフィルのネット配信サービスに登録してみようかな。ついでにオーディオ環境を整えてみるのもいいかも。これまで読まなかったような本を買ってみるのも悪くない。

保守的な人間なので一歩踏み出すことにエネルギーがいるけれど、新しいことを始めてみるのもいいかもしれないとは思います。

職業病

2021-01-04 23:29:05 | Weblog

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

最近よく思うんです。自分の何割かはもう死んでるなって。

このところ自分の血糖値が高い状態が続いています。今検査をすれば糖尿病の診断基準を満たすと思います。34歳、BMI 20.8で立派に2型糖尿病です。不摂生だから自己責任なんて理解のないことをいう人も居ますが、色んな病態があることを勉強してから批判して欲しいものです。僕だって生活習慣で治るものなら治したいです。

2型糖尿病は家族性の疾患です。親から遺伝子的なリスクを受け継いではいるんだろうとは思いますが、発症年齢は親より早いです。この病気で何より怖いのが合併症。末梢神経がやられ、網膜がやられ、腎臓がやられます。その段階になると全身の血管が高血糖というストレスに長期間に渡ってさらされ、端的に言えばぼろぼろの状態です。色々な病気のリスクになります。突然死する確率も上がるし、認知症を発症し周囲に長く迷惑をかける可能性もあります。
もっと残酷な病気は他にたくさんあります。ただ、そういう比較は無意味です。僕自身これから他の病気になる可能性だって十分あるわけですし。
職業柄、生活習慣病の先にある暗い未来を実感をもって想像できてしまう。僕が今言いたいのはそういうことです。

ある日突然死したとしても、まあ悪くない人生だったなと思って死んでいきたい。いつどんな災厄が自分に降りかかるかなんて分からないから。

死は徐々に生を侵食するものだと思います。多くの場合はゆっくり、例外的な場合は急激に。多分僕の何割かはもう既に損なわれてしまっているんだろうと思います。

決して悲観的な気分になっているわけではないんです。きゃっきゃ笑ながら走り回る子供たちを見て、例え今死んだとしても‥と思いたいという方が実情に近いかな。

今しかできないことを後悔の残らないようにしておきたい。
周りを見渡すとそういう気持ちをひたすら仕事につぎ込んでいる殊勝な人たちも少なくありませんが、僕はそこまで立派な人間にはなれそうにありません。

自分にとって優先度の高いことを大切にして生きて行きます。