風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

自分でも問題発言だと思うけど・・

2009-05-31 23:41:33 | Weblog
今から性に関する問題発言をするので、スクロールするのは興味がある人だけにしてください。





























昔、何かを読んでいて「売春(買春)は罪か?」というような問に出会ったことがあります。

もちろん強姦は罪だし、児童買春も許されない行為であるのは間違いありません。
それらが罪に問われる理由はいくらでも考え付きます。

では、身体的にも精神的にも十分成熟した人同士の間で、
十分な合意が得られたうえで経済的な取引として売春が行われた場合は
一体どこに罪があるんでしょうか。


それを読んだとき、うーんと考え込みました。

確かに、何が罪なのかといわれると明確な答えを出せない・・


宗教上の理由?
倫理的に人の道にもとる行為だから?
文化的に許されない行為だから?
STD(性感染症)の温床となりうるから?
既婚者の場合、浮気などに発展する恐れがあるから?


どれも理由としては弱いです。
お互いにwin-winの関係だとしたら、第三者がそれを罪に問う必然性はないんじゃ?


ただ、売春をせざるを得ない状況っていうのも存在しますよね。
経済的に困窮していて、お金を手に入れる手段としての売春は昔から存在します。
こういうケースでは、買い手が相手の弱みに付け込んでいるような嫌らしさが伴います。
法的に売春が罪となるのは、そういった理由からなんでしょう。

でもそれなら、風俗店はなぜ取り締まらないのかという疑問が湧いてきます。
風俗店で行われるようなことなら罪の程度が低いとでも?

なんか納得がいきません。


では、弱みに付け込む要素が全く無いケースはどうでしょうか。
今回考えるのはそういうケースに限るとします。

例えば、特に必要は無いけれど、個人的に人と性交渉を持つことが好きで
売春をしているというケースを想定します。
お互いに独身で十分に成熟しており、根腐れする恐れも皆無。
そういう状況が多いとは思えませんが、無いとは言えません。


この場合、一体何が罪になるんでしょうか。
 

しばらく考えてみましたが、分かりませんでした。

まぁ、付き合ったことすらない僕が想像のみで
偉そうなことを言うなっていうのはありますが・・・


世の中、分からないことがたくさんあります。

魅せられて

2009-05-30 01:09:21 | Weblog
雲の間から見え隠れする月の色っぽさにあてられてしまいました。

結構重症です。
それがために望遠鏡とビール、デジカメを持って屋上に上ってしまったくらいだから。

屋上は、非常階段の柵をよじ登ってようやく行ける場所。
これで落ちたら確実に自殺だと思われるだろうなと一人苦笑しました(笑



結局手元に残ったのはこれ1枚。
ぼけた写真しか撮れませんでした。
 
でも今はきれいな写真が撮れなかったことに満足しているんです。
変な話ですが。


・・何の落ちもない、ただそれだけの話。

決定的差

2009-05-27 00:51:31 | Weblog
「性能の違いが戦力の決定的差ではないと言う事を教えてやる」


今日の夕方、バイト先の塾に行こうと坂道を登っているときのこと。
時間に余裕があったので、ゆっくり行こうと思っていたら、
電動アシストの自転車に乗ったおばさんに追い越されてしまいました。

そこでふと頭によぎった冒頭の言葉。

妙に悔しかったので、抜き返しました(笑

さぁ、来るなら来い、とおばさんが抜き返しに来るのに備えていたら、
後ろからやってきたロードバイクのにーちゃんにあっさり抜かれてしまいました。


いや、それは勝てんわ・・・



日々、そんな勝負を挑んでばかりいます。

最近のライバルはもっぱらエレベーター。
息を切らしながら階段を駆け上るんですが、勝率は悪くありません。

だって、病院のエレベーター待ち時間長いもん。
9階まで上がるときでも勝てるんだからよっぽどでしょ?

エネルギー量で言えば比較になりませんが、
時間という点だけで評価すれば、「決定的差」にならないこともあるんです。



そう、重要なのは気力。

もしかしたら、働き始めたときに車の免許無くても大丈夫かも・・
ロードバイクがあれば、片道数十キロまでなら行けるだろ


・・・っていうのはさすがに無理ですね。

 
あぁ、免許(涙



ところで、冒頭の言葉。

軍の人間がそんなワンマンプレイを匂わせるようなことを言い出したら
この上なく迷惑だと思うのは、ファーストをきちんと見たことがないからでしょうか。
それとも、フィクションの世界についてそんなことを言うのがそもそも間違っているんでしょうか。

先輩の言葉

2009-05-26 00:42:15 | Weblog
自分が楽しんでいないのに人を楽しませることなんて出来ない。

自己犠牲だけでは何もなせない。

それだけでは人は救えないし、癒すことすらできない、


・・というような事を、すぎとこさんに言われました。
言葉に起こすと当たり前のようにも思えますが、
そのときはちょっとした衝撃を受けました。

抽象的ですが、なかなか汎用性の高い言葉だと思いませんか?


「自己犠牲」は僕にとってキーワードだったんですが、目からうろこが落ちました。

摸倣犯

2009-05-11 23:36:33 | Weblog


「不意に第二のアイディアが起った。
その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、何食わぬ顔をして外へ出る。――」


・・・ということで、檸檬。


果物屋さんで買うつもりだったけど、運悪く閉まっていたので隣の八百屋さんで購入。

重い画集を積み重ねることは出来ないので、代わりにその小説そのもの。

近所のおばーちゃんがやってる小さな本屋に置き去りにしてきても良かったんだけど、
好きな場所のほうがいいかと思って、最近お気に入りの暇つぶし場所で―。


「変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛てきた奇怪な悪漢が私で、
もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」

 


幸か不幸か、不発弾はまだ手元に残っています。

キス

2009-05-11 02:02:53 | Weblog
中2の弟から釣果自慢のメールが来ました。

バケツの中でキスが泳いでいる動画が添付されていました。

五色浜の堤防から投げ釣りして釣ったんだとか。
尤も、釣ったのは父だったみたいですが。

弟「キスだよ。30cmくらいある」

30cmのキスってすごいな・・・と返したら、
しばらく後に、父「ほんとは20cmくらい」。

まぁ、そりゃそうだよな、って思ってたら

最後に高3の弟から、「15cm前後だ」。


釣れたのは1匹だけ。

「誰か一人だけ嘘を言っています」というパズルみたいですが、
僕の見立てでは17cmくらいです(笑

 


なんか魚が食べたくなって、
夜買い物に行ったときに、半額に値引きされた白身魚の南蛮漬けを買ってきました。

・・でもやっぱりキスフライが食べたい。

泥のように

2009-05-07 00:50:06 | Weblog
「泥酔」の「泥」はドロの意味じゃなく、想像上の虫のことらしいです。

調べてみると、確かに辞書にそういう意味が載っていました。


「南海に住むという、伝説的な一種の虫。
骨がなく、ぐにゃぐにゃしているという。→泥酔」

海に住んで骨が無いということは、クラゲみたいなものなんでしょうね。


村上春樹によく出てくる「泥のように眠る」ってフレーズ。
きめが細かく、温かくて滑らかなドロのイメージがあったんですが、
きっとこれの由来も虫の「泥」なんだろうなぁと勝手に納得。

 
泥のように寝てばかりいたら、いつの間にか連休が終わっていました(笑
仕事のできる人は余暇の過ごし方がうまいとは言うけれど、
だらだらするだけっていうのも、これはこれで悪くない・・・って思いませんか?


明日は先生方が学会とやらでほとんど居ないらしいので、
正直なところ、行かなくてもばれなさそうなんだけど―・・・

さて、どうしようかな(笑

うおかつさん

2009-05-04 00:13:56 | Weblog
魚勝さん。

確証はないが、漢字で書くとこうだと思う。

「うおかつさん」とは、自分が幼かったころ、実家周辺に来ていた行商のおじさんのことである。
いや、それがおじさんのことだったのか、お店の正式名称だったんのかは定かではない。
とにかく、「うおかつさん」とは軽トラに乗って魚を売りに来るおじさんのことであり、
当時の私にとってはそれで十分だった。


何せ幼いころの記憶だから曖昧な点も多いが、朴訥な人だった気がする。
色黒で眉が濃く、いかにもと言った感じのエプロンをしていた。
その風貌から当時は漁師だと思っていたが、そんなはずはない。


かわいがってもらった覚えはない(そもそも話した記憶も無い)が、
私は「うおかつさん」が来るのを楽しみにしていた。
魚を眺めるのが好きで好きで仕方が無かったから。


軽トラの荷台には氷が敷き詰められ、その上に様々な魚が並んでいた。
その光景は今でも鮮明に目に焼きついている、と言いたいところだが、
実のところ、細かいことは全く覚えていない。
唯一はっきり覚えているのは、当時の自分の気持ちだけだ。

「さかなー。さかなー。」という覇気も商売っ気も感じられない声が聞こえると
居てもたっても居られず、道に飛び出していったものだった。


「うおかつさん」が来るのは11時ごろと決まっていた。
主婦たちが昼ご飯の準備を始めようかと言う時間に来るのである。
実際、我が家でも買ったばかりの魚が昼ごはんになったことも少なくなかった。

今でも「うおかつさん」のことを考えると、南中した太陽の日差しを一緒に思い出す。


おそらく商売上手な人ではなかったと思う。

魚を売りにくるタイミングは悪くないはずなのに、
うちのほかに魚を買っていた人を見た記憶はほとんど無い。
口下手なのも災いしたのかもしれない。


自分が小学校に上がるのに伴い、「うおかつさん」に会うこともなくなった。
そのため、いつごろまで魚を売りに来ていたのか分からない。
母に聞けば分かるかもしれないが、聞かずとも答えは想像に難くない。

なぜなら、「うおかつさん」はもう既に高齢であったし、
近くに新しくスーパーなどもできた。
「うおかつさん」は時代の流れに乗り切れなかった存在だったのだ。


 
幼少期の記憶と言うのは不思議なものだ。
今でも「うおかつさん」のことを思うと少しわくわくする。

そして今もどこかで「さかなー。さかなー。」と言いながら
軽トラを走らせているような気がしてならないのだ。