当直中に報道番組を見ているとどんどん気分が滅入っていきました。
特に気に入らないのが、兵庫の知事と県議会の一連の騒動。外野には何が本当か分かりません。
ただ少なくともデマを流して人を貶めるようなやり方は間違っています。自分の言葉に責任を持てない人間は政治家以前に社会人失格です。炎上させようという意図があるのだから何らかの罪に問われてもいいと思うのですが‥。
デマを鵜呑みにして無責任にSNSで中傷を繰り返す人も責任を問われるべきだと思います。
訴えたいことがあるならルールに則って正々堂々やるべきです。
SNSで誹謗中傷を繰り返す人に賠償金を請求する裁判を起こしても、彼らに支払い能力はなく、結局訴えた側が損をするだけと聞いたこともあります。今の裁判制度にそれらを押さえ込む力はありません。
表現の自由が問題になるというけれど、程度の問題があるでしょう。
今の時代、言葉の暴力は身体的暴力以上にたちの悪いものだと思います。
こういう不快感を抱くのは、僕自身に苦い記憶があるからです。上に挙げたようなことは僕はしていませんが、あまりに身勝手だった過去の自分を記憶から抹消したいという思いはずっとあります。
謝罪してもいなければ罪を問われてもいません。ただずっと反省しています。あんなことはするべきではなかった。
僕は暴力を振るわない主義ですが、だったらいいというものではありません。人を傷つけることは思うよりずっと容易です。
この前読んだ「ダンス・ダンス・ダンス」にこんなシーンがあります。死んだ人間のことを生前に悪く言ったのを後悔していると言う少女に対し、そんなことを今更言うなと主人公がきつく叱責します。
正直何が主人公の癇に障ったのか今でもよく分からないのですが、一度発せられた言葉は取り消すことができないという指導ではあったのかもしれません。
僕の子供には言葉を大切にするように常に言い聞かせようと改めて思いました。
殴った手も痛い。
これは何も物理的な暴力に限ったことではありません。
人を人たらしめるのは自分の経験でなくても他者の伝聞から学べることのはずです。
子どもたちにはそういう賢さを身に着けてほしいと思います。
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