風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

合宿前夜

2007-08-26 21:05:46 | Weblog
明日27日から9月1日まで小豆島に引きこもりn・・・じゃなくて合宿に行ってきます。
そして帰ってきて一日休んだ後、後期が始まります。
夏休み中に勉強しろって言われていたのに何もやってません(苦笑

ぁー・・・どうしよう。



夏合宿の目玉はなんていっても劇です。

今回は台本作りを少し手伝いました。

完全オリジナルのシナリオなので分かってもらえないとつらいですが、
内容としてはまずまずだと思います。

あとは1回生の頑張りに期待するだけ。

 自分が出ないのをいいことに 思い切りが大事なんだということを力説しようと思います。


・・・合宿は明日からなんですが、前日の夜9時の今、何の準備も出来ていません。


これからの予定としては、

夜11時から野郎こん

→夜を明かす(?)
→岡山港までのバスでウィスキー回し飲み
→きゅうky



・・・にならないように気をつけます。
もちろん、自分だけでなく後輩も。






ぁー忘れるところだった。
今からクッキーも焼かないと。




ふぅ。


淡麗生はトマトソースのスパゲティとよく合いますね。

代車

2007-08-24 03:35:01 | Weblog
愛車を修理に出したので、
明日1日は代車に乗らなければいけなくなりました。

・・・っていっても免許を持っていない僕にとっての愛車とは、例のママチャリのこと。
この夏休みで少なくとも270kmは走った自転車。
別に特別な自転車じゃないけれど、今では「相棒!」と呼びたくなるくらい愛着があります。

だけど、ただ愛着があればいいってもんではなく。

笠岡で横転したとき受けた衝撃でパーツが曲がり、かなり乗りにくくはなっていました。


ぁ、ちなみに。

衝突してしまったものは「縁石」と呼ばれるものなんだそうです。
その言葉を知らなかったので、この前の記事では説明するのに苦労しました・・・。




修理に持っていったのは、その自転車を買った近所の小さな店。

自分のほかにその店の顧客を見たことが無い程の寂れ具合ですが、
対応してくれたおじいさんは快活で人好きのする風貌でした。


見せるや否や、瞬間的に衝突したことを見破られました。
まぁ歪んでいることが見て分かる程度だからよっぽどなんだろうけど…。


フレームが「でぇれぇ」硬いから、衝突の際の衝撃で前輪を支えている部分が曲がったのだと説明を受けました。
なんでもフレーム自身が歪んでしまえば、自転車は修理不可能になっていたらしいです。

永久の別れにならなくてよかった…。



どうでもいい話ですが、生の「でぇれぇ」を初めて聞いたことにちょっと感動しました(笑
書き文字としての「でぇれぇ」を見ることはあっても、日常会話で発音されたのを聞いたのが初めてだったので・・・。


方言っていいですよね(笑



そろそろ9月以降に向けて勉強しないとなぁと思いつつも、何もできずに終わる夏の日でした。

流れ星

2007-08-22 00:32:43 | Weblog
流れ星を見ました。


だけど、

「お、未確認飛行物体!?」

なんて一瞬思った僕には願い事を三度唱えることなど叶いませんでした。




どんなに幸せそうに見える家庭にだって不幸の一つや二つ、存在する。

いつか新聞で見たこのフレーズが頭から離れません。

幸せの定義が難しいように、不幸の定義というのも難しいのだろうけど、
うちの実家が抱え込んでいる問題はもうちょっと多かったみたいでした。



やっぱり、欲張っちゃいけないってことなんでしょうね。


今度流れ星に出会えるその日までに、短い願い事を1つ考えておこうと思います。

最近のトピックス

2007-08-21 00:48:47 | Weblog
狂練不参加が続いてしまいました。


実家に帰っていたわけですが、
弁明させてもらうと、ただサボっていただけではありません。


地元の知り合いの方にみっちり見てもらってきました。

「これ(ブルックナー)弾いたのなんてもう40年も昔のことですから、忘れましたよ」

なんておじいちゃんの先生に。


みてもらった時間の割りに、自分の成長が見られないのが悲しいんだけれども
疲れだけは狂練並に蓄積されました・・・。




今回帰省して、一番驚いたのは小学校の同級生が結婚したらしいというニュース。

「まだ20」と思ってはいるけれど、「もう20」でもあるわけで
結婚した人が出たって不思議ではない年齢。

だけどなんかショックが隠せません。
この前、もう既に同級生がお金を稼いでいると言う話を聞いたとき以上に違和感を感じました。
自分が社会に出るのはまだ先だと思っているから一層。

もう子供がいるんだって・・・なんて話を聞くのも遠くはなさそうです。



次にびっくりしたのは、サナダムシ。

我が家の犬を連れて近所の海に行った(もちろん海パンはいてね?)日のこと。
犬がした便の中になんとびっくり、白い虫ちゃんがうにょうにょ(笑)


「おい、これなんだ?」と父。

「寄生虫勉強したんだろ?」

いや、したけれども。

・・・いきなり虫体見せられても。



さすがに海に入れて遊ぶのは気がひけたので、家につれて帰りました。


「犬回虫」というのは習った中にありました。
人にもつく寄生虫で、内臓に侵入して害を及ぼしたり、幼児では眼に入り込んで肉芽腫作ったり。

改めて調べてみると、犬の便中に虫が見られたらこれの可能性が高い、とのことだったので
これだと思ったんです。最初は。


だけど、犬回虫にしては妙に小さい。



変だなぁと思いつつ獣医に行きました。

そこで下された診断は、条虫。

いわゆる「サナダムシ」です。


人につく「サナダムシ」は主に魚を食べて感染するものばかりだから、
生の魚を食べていないうちの犬が感染するはずが無いって思っていたんですよね。


でも、この条虫の場合は、ノミが媒介するんだとか。

条虫の卵を食べたノミが犬に寄生し、かゆがって毛をなめたときに口から侵入。
体内で孵化して消化管に寄生し悪さする、という生活史なんだそうです。
なんでノミが好んで条虫の卵を食べるのかわかんないけど。


正式には瓜実条虫というらしいこのサナダムシ。
人にもつく可能性はきわめて低いながらもあるらしい。

・・・エキノコックスとか怖いなと思いつつも顔を舐めまわされたこと、幾度と無くあるんだけど。


そんな経緯もあり、虫下しをもらって虫体が確認されなくなるまで、
我が家の犬は家族から避けられていたのでした(笑)





最後に高校野球の話。

愛媛にいると、ベスト8まで勝ち残った今西のニュースをよく耳にしました。

昔はそれほど興味はありませんでしたが、最近は見ることが多くなりました。
今回もまた然り。


プロじゃないということ。
情熱という点についていえばプロにも引けをとらないこと。
がむしゃらに練習すること。
(もはや高校球児は皆年下ながら)割と年が近いこと。


色んな要素で共感を感じられるようになったかもしれません。


負けたときの悔し涙。

勝ったときの勝どきの声。


これほど純粋なものってなかなかないんじゃないかなぁと思います。

生き物と数の神秘

2007-08-08 23:47:50 | Weblog
いつものように練習を終えて通る帰り道。

どこもかしこも カ ッ プ ル ばっかり。

(台風で延期された花火大会が今日あったらしいです。)

別に僻んじゃいませんけどね。
僻んではいないけれど・・・。

ぁー

せめて通行の邪魔にならないように帰ってくれ…




― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―   



今日は数字の話。


ジュウシチネンゼミ(十七年ゼミ)というのをご存知ですか?

北アメリカに生息するセミで、その名が示すとおり17年に一度大量発生します。



でも、なぜ「17」年なのか?

実は、これには深い意味があるといわれています。



例えば、仮に16年周期で大量発生するセミがいるとします。
「16年ゼミ」とでも呼びましょうか、
そのセミは、「2年ゼミ」「4年ゼミ」「8年ゼミ」と大量発生する周期がかぶってしまう可能性があります。


言うまでも無くこれは、16という数字が約数を持つからです。

もちろん、周期が重なることが無ければお互いに競合することはありませんし、
重ならなかったときはお互いにとって理想的な状況となります。

が、もし大量発生するタイミングが重なってしまうと…
それが高い頻度で永遠に続いて行くことになるので、種としての生存が危ぶまれる危機的な状況に陥ります。

そしてもちろん、天敵が周期的に大量発生する事態にも対応できます。

(さっき不安になって調べたら、諸説あるそうです。
これは、昔知った一説・・・のはずです。)


そう。17が「素数」であることが重要なんです。
1とその数以外に約数を持たない素数ならば、
大量発生の周期が一度重なってしまっても、それがずっと続く心配はありません。


「たまたまなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、
他に13年ゼミというのが実在することから、セミが種の存続を素数にかけているのは確かだろうと思います。

(ちなみに、17年ゼミや13年ゼミは素数ゼミとも呼ばれます。)



「よーし、じゃ次の世代は17年後に大量発生させようなー」

なんてセミが話し合ったわけじゃないでしょうが、
(そもそも意識的に調整できるもんでもないだろうけど)
自然と素数にたどり着いたというところに生き物の神秘を感じるんですよねー。



生物学の用語に「ニッチ(生態的地位)」という言葉が出てきます。
語弊を恐れず言えば、食物連鎖における立場、といったところ(だと思ってます)。
ニッチを同じくする生物は競合関係にあるわけですが、
それを避けるために「すみわけ」し、無益な争いを避けているものがあります。
(教科書的にはヤマメとイワナがすみわけの代表例。)

空間的に争いを避けようとした種がいる一方で、
中には時間的な「すみわけ」を行ったものがいるといえると思います。


なんかすごいなぁ・・・と思いませんか。




そういえば今年は関西でクマゼミが大量発生する年なんだそうですが、
これは4年に1度なんだそうです。
日本には周期的に大量発生するセミがいなかったから、
そんなこと考えなくてもよかった、ってことなんでしょうかねぇ。





・・・前説(?)終わり。

(記憶を引き出しただけの話なので、信憑性に乏しいですが、
全くの見当違い…ではない…と思います。)




なんで数に思いを馳せたかというと、こんな記事を読んだから。

関西の食パンは5枚切りなの?

確かに岡山のコンビニやスーパーでは、5枚切り食パンを見ることが多い・・・。
(買ったことないけどね)
愛媛では食パンを買いに行くことが無かったので気づきませんでした。



いやいや。


食パンの枚数が素数っていうのは特にメリットないと思うんですが。
それ以前に奇数だし。



食パン食べるなら、やっぱり2枚欲しくありませんか?





ただ、それだけの話。

或る女?アルルの女。

2007-08-08 02:55:59 | Weblog
あ、いや、「或る女」を読んだことなんてないんですけどね。

ただ、「或る女」と「アルルの女」って似てるなって思っただけ。



この前のパートで、アルルの女ってどんな話なんだ?ということになり、
あらすじを皆で勉強しました。



「アルルの女」あらすじ

南フランスの豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた美女に心を奪われてしまった。
フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるのだが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。
日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。
それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。
ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。
2人の結婚式の夜、牧童頭のミチフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。
物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、
機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。

(wikiより引用。)


・・・うーん。


この話、なんか救いようが無い。


とりあえず、フレデリは情けない奴ですね。
いや…ある意味では純粋な男なのかも…自分の欲望に。


アルルの女…には罪は無いのかな。少なくともカルメンみたいな悪女じゃないみたい。


ミチフィオ…あらすじにいきなり登場するこいつは何者なんだ…。
そもそも牧童頭っていうのも何なんだ…
なぜわざわざフレデリに自慢しに来るんだ…

なんかいけ好かない奴。


この中で唯一かわいそうなのは、ヴィヴェット。
なんでこんな人がこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。

いや…世の中、そんなもんなのかもな…。



そして ファランドール って祝いの踊りだったんですね。
へぇ・・・。





その後。

2007-08-07 02:30:32 | Weblog
これまでの文章がとてつもなく冗長な物になってしまったので、
その後のことをなるべく簡潔に書きたいと思・・・ったんですが、かなり長くなりました。
まぁ、暇があれば見てくださいな。


●Mission failure

不意に家に入って家族を驚かせるという試みは、帰ってすぐ失敗に終わりました。
というのも、自転車を止めたとき、ちょうど午前の仕事を終えて返って来た父に見つかってしまったから。


「教材販売に来た学生かと思った。この時期多いから。」


いやいや…自分の息子くらい間違えんといてください。


ちなみに、犬にも最初吠えられました。(帰省するたびの恒例行事)

一方、スズメは覚えていてくれました。
(我が家のチュンは、家族以外の人間が入ってくると怖がって暴れます)

服装が変わっていても分かるんだから、鳥って意外と賢い。
そういえば、都会には特定の人につきまとうストーカーカラスもいるらしいですね…。


●何したか。

家族は相変わらず、という感じだったのでさておき・・・。

帰った翌日、水産試験場が一般に開放されるというので見学に行ってきました。
(うちの家族ってなぜかそういうのが好き。)

ぁ、一言断っておきますが、別に僕は鳥フェチじゃありません。
むしろ小さい頃は魚フェチでした(ぉ
夜泣きに困ったら魚を見せにいく・・・なんてことも何回かあったらしいです。


面白いもの色々見ました。

原索生物で有名な「ホヤ」の生きているやつとか、
無駄にでかいヒラメ。
改名したほうがいいんじゃない?というくらいきつい緑色のクロアワビ。

昔海水浴場で見た魚の名前が「キヌバリ」という名前だということも知りました。




あと歯の治療をしてもらったときに、レントゲン写真で自分の下顎管を見ました。
三叉神経の第3枝、下顎神経由来のオトガイ神経が通るところですが、
マニアックな話になるのでやめておきます。
ちなみにきちんと覚えていたわけじゃなくて、さっき教科書で確認し…

自分の中にも一通りのものが入っているはずなんだよなぁと思うと、少し不思議な気分でした。


ぁ、そうそう。

高校野球の愛媛大会の決勝もテレビで観戦してきました。
これができたのも地元に帰ったから、なんですよね。
甲子園に出られなくなり、悔し涙を流す高校球児を見て、もらい泣きしそうになりました。


まぁそんなこんなで、だらだらしていたんですが、
台風5号がやってきてしまうまえに岡山に戻ることにしました。


●じゃ、どうやって帰ろうか


愛媛に向けて自転車こいでいるときは、
どうやって岡山に戻るかなんて全く考えていなかったわけでして。

(まー、フェリーとか使えば帰れるんじゃね)

が、調べてみると、丁度いい航路がありません。
宅配便という手を使うとどうなるか調べてみると・・・

ぇ、8000円?

それだけあったら、岡山愛媛間往復できるよ・・・

でも単身岡山に戻っても、自転車がないと困るんだよなぁ。


ということで、結局帰りも自転車に乗って帰ることにしました。

で も

さすがにそのときは、あの道をもう一度帰る気にはなれませんでした。


ということで折衷案。

「車に自転車を無理やり載せ、途中(尾道)で落としてもらう」


岡山から尾道までは割りと楽にたどり着けた(という印象があった)ので、
これなら自分の負担も軽いし、親にそこまで迷惑かけるわけでもないからいいか、と。


●ということで、いざ岡山


親の仕事が休みだった水曜の午後、自転車を車に積んで出発。

「一緒に行って上げようか?」

なんて言いつつ一番下の弟がついてきました。


やっぱり車だと早いですね…


1時間半で今治につき(自転車では7時間近く)
やはりそれから1時間強で尾道に着きました。(自転車では7、8時間)
その後、尾道で結構美味しいラーメンを食べ、2人と別れました。


別れるとき、父はしまなみ海道で買った「いわしせんべい」と「めかぶのお茶」をくれました。

(ちょ…、なぜ?)


「塩分の補給になる。」


(そんな喉の渇くモンいらねー…。しかも、めかぶのお茶にいたってはそのまま食べるものですらない…)


「さっき、試食品食べてみたけど、大丈夫だった。」


(大丈夫って何が…)


厚意をはねつけるわけにもいかず、
役に立たないこの二つのアイテムを自転車のかごに入れました。
そしてやっぱり最後まで袋を開けることはありませんでした。

自分で言うのもなんですが、親子揃って変な人です。



別れたときの時刻、午後6時ごろ。

(あぁそろそろ弦分始まるなぁ・・・)と思いつつ、岡山へ急ぎました。



相変わらずの無計画ぶりで、そのとき、尾道から岡山までの距離は知りませんでした。
国道2号線に沿ってしばらく行くとやっと案内標識が。

「岡山 70km」

(う・・・やっぱり結構距離あるなぁ。)

でもまぁ6時間あれば帰れるだろ・・・と思い、飛ばしました。
そのくらいの時間なら足も持つだろうと思ったので。


福山まではかなり順調でした。
道(歩道)が割と広いから走りやすいし、まだ辺りも明るかったから。

ところが、岡山県に入ってすぐ、ちょっとしたハプニングが起こりました。


岡山県に入ってすぐ(つまり笠岡市)は歩道どころか道路の幅自体がかなり狭く、
歩道が無い部分も結構長いです。
だから、自転車にとってはかなり怖いんですよね。
すぐそばを自動車が猛スピードで走り抜けて行くから。

(ぁ、ちなみに歩道に歩行者なんてまずいないから、自転車で通っても何の問題もありません。
まぁ、だから整備されていないんだろうけど…)



笠岡市市街地も大分近づいてきた下り坂。
狭い道を我慢して通ってきた末にようやく歩道が見えたので、そこに乗ろうと思ったんです。


自動車が怖いから、歩行者のいない歩道に乗ろうと思うのは自然な心理でしょう?


・・・・・・。


突然、視界がなくなりました。



何が起こったのか分かりませんでした。



いて…と思いながら目を開けるとそこには横転した自転車が。



あぁ、こけたんだな、と分かりました。それと同時に、痛みを感じ始めました。

自転車は歩道のすぐまえにあるブロックに引っかかっていました。

ほら、車道と歩道の高低差が無いとき、
両者の境に「うね」のような境界ブロックが設置されていることがあるじゃないですか。

あれにひっかかってこけたんです。


そんなところに、そんなものがあるなんて思いませんよ・・・普通。
二重にそんなものが用意されている、なんて。



▲現場の模式図


どうやらそこにあったミラーを保護する目的で作られたみたいでしたが…。

そこに街灯はなく、夜だと良く見えません。
しかも下り坂。速度は結構出ていました。
そばに電話BOXがありはしますが、そのためにむしろ足元が見えにくいです。
もちろん、自転車のライトはつけていました。


被害妄想かもしれないけど・・・

罠としか思えない・・・


幸い怪我はかすり傷で済みました。
けど、ここで骨を折りでもしていたらどうなったかと思うと・・・。

自転車から2mくらいふっとばされたので、下手したら骨折していた可能性はあります。
かすり傷で済んだのは中学(の授業)で3年間やった柔道のおかげかなぁとも思いましたが、
多分運がよかっただけです。



ただ、転倒したおかげで自転車が明らかにゆがみました。
そしてブレーキをかけるたびに悲鳴を上げるようになりました(笑)


こういうのって笠岡市役所に連絡したらいいんだろうか。
それとも、国土交通省に直に連絡したほうがいいんだろうか。

あれは本当に危ないです。



こけたことにより、闘志(?)が大きくそがれました。
そして何より怖くなりました。足元がはっきり見えないことが。

スピードもかなり落とし、のろのろとしばらく進みましたが、
こんなことではいつ着くか分かったものじゃないと思いなおし、
だんだんもとのペースに戻ってきました。

ハンドルがゆがんでいるのが怖かったけど。



早島から岡山市に入る道は自転車で走るにはなかなかいい道でした。

信号で止まることはほとんどないし、歩道も十分に広く、平ら。
ラストスパートでかなり飛ばしました。


ただし。


車が歩道に侵入して駐車するのを防止するためか、
ポールがたくさんたっているんですよね…歩道のど真ん中に。

反射シールが貼られてはいるものの、何度もぶつかりそうになってヒヤヒヤ・・・。
速度が出せる分怖いんですよね。(なら落とす、とは決してならない。)




▲こんなの。


ま、一度はトラップにかかってしまいましたが、
それ以上はこけることもなく、なんとか岡山市に帰り着きました。


自分の部屋に入ったときの時刻がちょうど午後11時ごろ。
尾道をたってから丁度5時間経過していました。
走行距離は70km少々。
休憩はほとんど取っていません。


なかなか悪くない記録ですよね?


翌日以降も筋肉痛に悩まされることもなく、いつも通りの生活を続けられましたとさ。

終わり。






(ぁー…また長くなってしまった…。)

そして・・・  完結編

2007-08-04 03:12:47 | Weblog
これまで読んでくれた人も、さすがに読むのに疲れてきたんじゃないかと思います。
一気にゴールまでたどり着きたいと思います。


●就寝・・・。

正直に告白すると、多々良大橋を渡る前はほとんど泣きながら自転車をこいでいました。
真っ暗で孤独という状況は、ただそれだけで怖いんです。
文字通り、「先の見えない」状況に苦しみました。


多々良大橋を渡ると、そこはもう愛媛になります。
ただそれだけでかなり救われた気分になりました。

(やっと愛媛に帰れた・・・)

広島か愛媛かというのは便宜的な線引きに過ぎないのにね。



橋を渡ったところに道の駅がありました。


「やっと明かりのある場所についた・・・」と思うと同時に
一歩たりとも前に進むことが出来なくなり、そこで寝ることを余儀なくされました。


そして、そこが昔来たことのある場所だということに気がつきました。
その場所は、高校のときに行われた30kmウォーキングのスタート地点だったんです。


(・・・ってことはまだ今治まで30kmあるってことかよ・・・)


愕然としましたが、とりあえず休むことに。


当然、寝袋なんて気の利いたものはありません。
仕方が無いので、ベンチに座りテーブルにうつ伏して寝ました。
少々肌寒いくらいでしたが、すぐに眠りに落ちました。
へとへとだったんです・・・。

そのときの時刻、午前3時。
出発してから12時間がたっていました。



夜が、明ける。


目が覚めたとき、太陽はまだ水平線のしたにありました。
二度寝しようかと思いましたが、不思議と眠たくありません。
時計を見ると、午前4時半でした。
まだ1時間半しか寝ていなかったんですが、この季節の4時半って結構明るいんです。

暗闇から開放された・・・と思うだけで元気が出てきました。

(日が出てくれば体力を無駄に消耗する・・・。暑くならないうちに帰り着きたい)


睡眠不足などなんのその。
すぐに自転車に飛び乗りました。

「今治まで30km」という情報も自分を奮い立たせるのに役に立ったんですよね。
おまけにこれから行く道は5年前に通った道と同じ。

全てが追い風でした。




びゅんびゅん(死語?)飛ばしました。
長い夜が明けてようやく本調子に―。
足は少しつらかったものの、痛くて動かすのも苦痛・・・というほどではありませんでした。

これってちょっと自慢していいところですよねw?


最初に見えてきたのは、この大三島橋。



これで4番目の島・大三島を出て、5番目の島・伯方島に入りました。

ちなみに、大三島は義経奉納の鎧といった国宝を所蔵する「大山祇神社宝物館」で有名で、
伯方島は・・・あの「伯方の塩」の伯方です。
別にここで作られているわけじゃないけど。

ちなみに、この写真を撮った時刻はちょうど午前5時。


次、伯方・大島大橋。



この写真は橋を渡った後に撮りました。
撮影時刻、5時54分。ちょうど日の出のころでした。

これでやっと6番目の島、大島にたどりついたわけです。


さて、この大島、名前の通り大きな島…というよりはむしろサイクリングロードが長い島。
島の中央を突っ切るので、当然傾斜のある道を進むことになります。

気持ちは絶好調だったんですが、一方で足のだるさは最高潮に達していました。


そのため、ゆるい坂道ですらのぼれず、自転車を押して歩きました・・・。
別にずるいことをしているわけではないものの、妙に後ろめたく感じましたね・・・。


そして終に見えてきた最後の橋、来島海峡大橋。



長く見えるでしょう?
実際かなり長いんです。おまけに橋の入り口までも遠いんです。

でも頑張りました。頑張れました。

だってこれが最後だったから。


この時間(6時48分)になると、今治側から来る自転車とすれ違い始めました。

ママチャリの人は一人もいなかったけどね!



橋の途中から見下ろせる馬島の写真。
白砂青松っていうのはこういうのを言うんですよね、多分。

こういう景色が見られるのは、自転車で通行できるしまなみ海道だけです。

すごいでしょ?(何が…


●半年振りの四国


四国の地を踏んだことで、もう帰り着いたつもりになっていました。

が、ここでも自分の認識の甘さを思い知らされることになるんです。


「↑松山」という案内に沿って進むこと数十分。
ようやく見つけた標識に書かれていた松山までの距離、なんと「 44km 」・・・

もう帰ったつもりでいたんですよ?

なのに、あと44kmも・・・。


再び(いや、何度目だろ?)精神的打撃を受けました。
自分の家の近くで「松山7km」だったはずなので、ほぼ50kmある計算になります。
30kmぐらいの心積もりだったので、またペースが急激に落ちました。



岡山を出発したときは、翌日の明け方に家に着くつもりだったんです。
が、このときにはもう無理と分かっていたので、昼までに帰る、という予定に変更しました。



ひたすらこぎました。


ただひたすら・・・。


酷い筋肉痛はないものの、足は限界突破していました。
ものすごくだるく、重いんです。

ただ、動かさないことには前に進めないので、無理してこぎました。


途中、「私はかもめ」という喫茶店で休憩を取りました。

(一体どういう意味がこめられているんだろう?)


ネーミングセンスがいいとは言えそうにありませんが、
風に吹かれる「氷」の看板(というのか?)があまりに魅力的で、
無性に食べたくなったんです。
その衝動は破壊的といってもいいほどで・・・(以下略


安かったハワイアンブルーを注文しました。
合成着色料の塊にしか見えませんでしたが、状況が状況だったのでかなり美味しく感じました。

そして、

バイトのおねーさんを見て、久方ぶりに人間を見た気がしました(笑)
人間が恋しかったんです。あまりにそれまで孤独だったから。




カキ氷は少し心を癒してくれました。
甘かったので、喉の渇きを癒してくれたかどうかは微妙なところですが。


●ライバル、現る

しばらく海沿いの道が続きました。
この辺まで来るとある程度道も分かります。

のんびり行こうと思っていたんです。
海沿いで風が強かったのもあって。

だけど、神様はそれを許してくれませんでした。
そして、実に迷惑な(?)ことに、ライバルを遣わされたんです。


ライバルの年齢はおそらく60前後。白髪混じりの頭に帽子をかぶっていました。
愛車は、こちらと同じく銀のママチャリ。
真っ黒に日焼けしていて、僕と同じく松山方面に向かって進んでいました。


最初、ライバルに出会ったのは上り坂でした。

そのときにはまさか対抗意識を燃やされるとは思いもせず、普通に追い抜いたんです。
が、下り坂になったとき、おじさんが猛スピードで追いかけてくることに気がつきました。

明らかにこちらを意識した速度で(笑

(おっさん、やる気か?)


勝負を挑まれて逃げるわけにはいきません。


それから10km近く競走し続けました。お互いに対抗意識をたぎらせながら。

勝っても何も得られない勝負・・・。
だけど、負けたら男としての誇りが損なわれかねなかったんです(笑)


同じ歩道を通っていては、一方が他方の後ろをついて走るだけになるので
意識して反対側の歩道へと移動した上で進みました。

道路を渡るのに時間がかかるので僕にとって不利でした。
が、まぁそこは若さに物を言わせ、先に進みました。


海沿いは相変わらず暴風が吹き荒れており、酷く疲れました。
でも負けられないという気持ちが強すぎて、
それまで重く自由が利かなかった足も酷使できてしまいました。

おじさんのおかげで時間が短縮できたのは確かですね。



後ろにいるライバルの姿が見えなくなったので、完全に引き離したかな・・・
・・・と思った瞬間に姿が見える。

これが繰り返されました。


ただ、さすがにおじさんもかなりきつかったみたいですね(苦笑)
そのうち、何回後ろを見ても姿を確認できなくなりました。

(よし勝った!!)と心のうちで叫びました

が、これで買ったことにするのも何か釈然としない・・・。


そこで、勝手ながら無断でゴールを決めることにしました。
ちょうど「道の駅まであと1.5km」という標識を見つけたので―。



その1.5kmを死に物狂いでこぎ、ライバルに勝利しました。
この勝利には神様もけちをつけられません。
確固たる勝利です。



ただし、その代償として体力がほとんど失われました(笑)
ほんとその場で倒れてしまいそうでしたよ・・・。




でも、ここで倒れるわけにはいきません。
少し休んだ後、最後の力を振り絞って再び進み始めました。




途中、道端にちょっと座ると意識が飛んだり、
坂道をみて発狂しそうになったりしつつも、ひたすら家に向かってこぎ続けました。
 



少しずつ、だけど着実に自分の家へと近づいているのを感じました。




松山市に入ってしまうと、もうもはやそこは自分の庭みたいなもんでした。


高校に通っていた昔、幾度と無く通った道を帰りました。





そして終に・・・自分の家の前までたどり着きました。






実は、自転車で帰ったことは親には言っていなかったんですよ。

なぜかというと、単に驚かせたかったから、というだけなんですが。

この旅の目的は、結局のところ家族を驚かせる、ということだけにあったみたいです。
最初から。


さて、どうやって家に入ろうかなぁ・・・なんて考えつつ、
自転車を我が家の駐輪場へ入れました。

へとへと・・・なんてとっくに通り過ぎていたけれど、

何にも変えがたい充足感で一杯でした。







このときには知らなかったけれど、

岡山から尾道まで70km
尾道から今治まで80km
今治から自宅まで50km

計200kmを自転車で帰ったことになります。


・・・よくやったよなぁ・・・。


かけた時間は休憩含め、22時間。
ほぼ不眠不休でした。








非常に長くなってしまいましたが、家にたどり着くまで書き記しました。
日本語として変な箇所や、読みにくい箇所は多々あると思いますが、ご容赦願います。

後日談は、気が向いたら書きます。

しまなみ海道編

2007-08-03 01:10:30 | Weblog
思っていたより大きな反響があってびっくり・・・。
拙い日本語ですが、なるべく読みやすいように書こうと思います。


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さて、尾道からしまなみ海道のサイクリングロードに入ることには成功しました。(前記事参照)
どのくらい距離があるのかは出発する前にも知らなかったわけですが、
この時点で、実は70km走って来たことになります。
6時間かかっていますが、ママチャリだったことを考えれば悪くないペース。


しまなみ海道には以前、家族と車で遊びに来たことがありました。
記憶ではそれほど入り組んだ道でもなかったし、
後は道なりに進むだけで今治まで行けるな・・・と安易に考えていました。


が、甘かった・・・。甘すぎました。
そもそも自動車道とサイクリングロードはほとんど伴行していないんです。
前知識も全く無かったので、
しまなみ海道のサイクリングロードが80kmもあるとは思ってもみませんでした。
(※ 尾道~今治の自動車道の長さは60km)



▲瀬戸大橋と違って、しまなみ海道は複数の橋が島々を連絡することによって通行が可能となっています。


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1つ目の島、 向島 では入ってすぐに24時間営業のスーパーを見つけました。

(思っていたよりも人口多そうだし、物資の補給にも困らないかも・・・)

なんて思いましたが、実際にはこの島が特殊だったというだけの話。


さて、向島の市街地(?)を抜けると海が見えてきました。

海沿いのサイクリングロードって言うのは素敵なもんですよ。

聞こえるのは潮騒だけ。
ライトアップされた因島大橋は月と調和して、なんとも言えない美を醸す・・・

おそらく、他ではなかなか味わえない風景だと思います。
是非現地へ赴いて見てもらいたいです。
(残念ながら、携帯のカメラじゃうまく撮れなかったんですよね)

その風景をみて、少し精神力を回復できました。


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そのままひたすら「サイクリングロード」の案内の沿って進むと、坂道にさしかかりました。
考えても見れば、自転車は橋を渡るたびに坂道を登らなければなりません。
船を通すために(?)橋は全て高い位置に架かっているから。

正直、それに気づいたときちょっとげんなりしました・・・。
(自動車の場合、こんな高低差はありません)


尾道までは直線的な道筋だったから、
時間に比例して進め、目的地へ近づいているのを実感できたんです。

一方、しまなみに入ると曲線的な道ばかり。
さらに、案内標識も無くなり(あれは自動車のためのものだから)、
次の目的地である今治まであと何kmあるのかも分からなくなりました。
あるのは次の橋まで何kmかという表示だけです。


それらの理由から、2つめの島、 因島 に入ってから、
だんだんだんだんテンションが下がってきました。


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因島に入ったときの時刻は午後11時半。
もうすぐ日が変わろうとしていました。
夜通し自転車をこぐつもりだったとはいえ、
やっぱり真夜中になってくると気力もやせ細ってきます。


さらに悪いことに、因島に入ってから急速に辺りが暗くなりました。
更けてきたからというのもあるんですが、主な理由は街灯の数がほとんどなかったから。

サイクリングロードは自動車道とは別の道だし、
まさか夜サイクリングロードを利用する人間がいるとは、
作った人も想定していなかったみたいです。



『本当の恐怖とはその対象によるものではない。最も恐ろしいのは人の想像力なのだ』

という言葉を聞いたことがあります。


想像してください。


時刻は真夜中。

居るのは自分ひとりだけ。
(夜中、しまなみ海道ですれ違った人は一人も居ません)

辺りを見回しても、ただ鬱蒼とした木々の影のみが見えるのみ。

周りは暗く、周囲に人の姿はおろか人家すらない。


・・・結構きついです。



尤も、この時点でその状況に陥ったわけではないんですけどね。

このとき、人家や街灯はわずかながらありました。
ただ、辺りが暗いために「サイクリングロード」という道案内が見えないんです・・・
うっかりすると見過ごして違う道へ進んでしまいそうでした。

道が緑色に塗られているのも手がかりにはなるんですが、
正しい道なのにその緑色の加工がなくなることもしばしばあるので、正直あてにはできませんでした。



そして・・・結局、道に迷いました。



悲痛でした・・・



持っている地図は参考にならない。
(細かい自転車道なんて書かれているはずもない)

人に聞こうにも誰もいない。

携帯はあるけど、充電切れそう
(←写真なんて撮ろうとしたのが間違いだった…)
そもそも携帯が使えたところで、この辺の地理に明るい人なんて居ない。


迷子になったらその場を動くな、と小さいころは言われていましたが
まさかそんなところで野宿するところにもなれず、さまよい続けました。


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・・・そして、さまよう事30分。


とある工場の前に出て、ようやく分かりました。
なぜ道に迷うことになったのか、が。

(あれ・・・なんでこの工場、因島って書かれているんだ・・・?)


気が急くあまり、いつのまにか自分は今3つ目の島(生口島)にいるんだと勘違いしていたんです。
だから、2番目(因島)と3番目の島(生口島)を結ぶ橋を渡れば、
尾道方面へ戻ってしまうことになると思い込んでいたんです。

実際には2番目の島(因島)にいるので、その橋(生口橋)を渡って、
3番目の島(生口島)へ行かなければならなかったのに。


今思えば、なんでそんな間違いを犯したんだろうと首をひねるようなミスです・・・

焦っていたんでしょうね。ひどく。
そして、暗闇が及ぼす精神的な影響はかなり強かったということでしょう・・・


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工場の前から海沿いにひたすら進み、どうにかサイクリングロードに戻ることが出来ました。

しかし、精神的にも体力的にもそろそろ限界が近づきつつありました。

(さすがに徹夜で走りとおすのは無理だ・・・)


当面の目標が、「夜の間にしまなみ海道を走りぬける」から
「野宿できそうな場所を見つける」へと変わりました。


(そうはいっても、少しでも今治に近づいておきたい・・・)


くじけそうになりながら、生口橋を通過。
やっとのことで、3番目の島、 生口島 に入りました。

(よし・・・6つの島のうちの3番目なんだから、もうすぐ半分だと考えていいんだよな)

なんてプラスに考える暇もなく、目に入ったのは

「 ← 自動車         自転車・歩行者 → 」

という看板。


(また真っ暗な道を一人行かないといけないのか・・・)
と意気消沈しました。
(そばを車が走っているだけでも孤独感はかなり慰められるもんなんです。)


ただ、生口島では沈んでいる暇はありませんでした。
この島、本当に何もないんです。
街灯も無く真っ暗。
自分の自転車のライトのみが頼りでした。


これが何を意味するか分かりますか?


どんなに疲れていようとも、
真っ暗になるのを避けるためにはこぎ続けるしかなかったんです。
たとえ坂道が続こうとも・・・。


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しまなみ海道の中で、この島が一番心細かったです。
何せ、真っ暗な道に入った時に「次の橋まで15km」の看板を見せられていますからね・・・。 


本当に孤独でした。
実際、半径数km内に自分しかいない時間というのもかなりあったと思います。


対岸の島の明かりもほとんどありません。
今までに経験した中で一番濃密な闇に支配された空間でした。

まだ海沿いの道はいいんです。

山側に入り込んでいる道が本当に暗いんです。
勾配を緩やかにするために、その「山道」が何kmも続くんですが、
上も下も前も後ろも真っ暗・・・。

いつの間にか月は沈み、月明かりもなくなりました。

では素敵な星空が広がったか?

否。

木々は覆いかぶさるように枝を伸ばし、満天の星空を見ることなど出来ませんでした。


もはや、景色を楽しむ余裕など皆無でした。
(楽しもうにも見えるのは空だけだけど)

ひたすらこぎました。
一刻も早くこのエリアを通過してしまいたいと思いつつ・・・。


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精神的にも肉体的にもぼろぼろの状態で、多々羅大橋を渡りました。
なんとか「暗闇の15km」を制覇できたみたいでした。

ぼろぼろすぎて、逆に多々羅大橋を楽しんで渡れた気がします。
自分の卑小さを感じつつ、
この建造物の巨大さとそれに注がれた情熱に思いを馳せながら・・・。






長くなったので、とりあえずここで一時終わります。
多分まだ続きます。

こんな超駄文に付き合ってくださって、ありがとうございました。