これまで読んでくれた人も、さすがに読むのに疲れてきたんじゃないかと思います。
一気にゴールまでたどり着きたいと思います。
●就寝・・・。
正直に告白すると、多々良大橋を渡る前はほとんど泣きながら自転車をこいでいました。
真っ暗で孤独という状況は、ただそれだけで怖いんです。
文字通り、「先の見えない」状況に苦しみました。
多々良大橋を渡ると、そこはもう愛媛になります。
ただそれだけでかなり救われた気分になりました。
(やっと愛媛に帰れた・・・)
広島か愛媛かというのは便宜的な線引きに過ぎないのにね。
橋を渡ったところに道の駅がありました。
「やっと明かりのある場所についた・・・」と思うと同時に
一歩たりとも前に進むことが出来なくなり、そこで寝ることを余儀なくされました。
そして、そこが昔来たことのある場所だということに気がつきました。
その場所は、高校のときに行われた30kmウォーキングのスタート地点だったんです。
(・・・ってことはまだ今治まで30kmあるってことかよ・・・)
愕然としましたが、とりあえず休むことに。
当然、寝袋なんて気の利いたものはありません。
仕方が無いので、ベンチに座りテーブルにうつ伏して寝ました。
少々肌寒いくらいでしたが、すぐに眠りに落ちました。
へとへとだったんです・・・。
そのときの時刻、午前3時。
出発してから12時間がたっていました。
夜が、明ける。
目が覚めたとき、太陽はまだ水平線のしたにありました。
二度寝しようかと思いましたが、不思議と眠たくありません。
時計を見ると、午前4時半でした。
まだ1時間半しか寝ていなかったんですが、この季節の4時半って結構明るいんです。
暗闇から開放された・・・と思うだけで元気が出てきました。
(日が出てくれば体力を無駄に消耗する・・・。暑くならないうちに帰り着きたい)
睡眠不足などなんのその。
すぐに自転車に飛び乗りました。
「今治まで30km」という情報も自分を奮い立たせるのに役に立ったんですよね。
おまけにこれから行く道は5年前に通った道と同じ。
全てが追い風でした。
びゅんびゅん(死語?)飛ばしました。
長い夜が明けてようやく本調子に―。
足は少しつらかったものの、痛くて動かすのも苦痛・・・というほどではありませんでした。
これってちょっと自慢していいところですよねw?
最初に見えてきたのは、この大三島橋。
これで4番目の島・大三島を出て、5番目の島・伯方島に入りました。
ちなみに、大三島は義経奉納の鎧といった国宝を所蔵する「大山祇神社宝物館」で有名で、
伯方島は・・・あの「伯方の塩」の伯方です。
別にここで作られているわけじゃないけど。
ちなみに、この写真を撮った時刻はちょうど午前5時。
次、伯方・大島大橋。
この写真は橋を渡った後に撮りました。
撮影時刻、5時54分。ちょうど日の出のころでした。
これでやっと6番目の島、大島にたどりついたわけです。
さて、この大島、名前の通り大きな島…というよりはむしろサイクリングロードが長い島。
島の中央を突っ切るので、当然傾斜のある道を進むことになります。
気持ちは絶好調だったんですが、一方で足のだるさは最高潮に達していました。
そのため、ゆるい坂道ですらのぼれず、自転車を押して歩きました・・・。
別にずるいことをしているわけではないものの、妙に後ろめたく感じましたね・・・。
そして終に見えてきた最後の橋、来島海峡大橋。
長く見えるでしょう?
実際かなり長いんです。おまけに橋の入り口までも遠いんです。
でも頑張りました。頑張れました。
だってこれが最後だったから。
この時間(6時48分)になると、今治側から来る自転車とすれ違い始めました。
ママチャリの人は一人もいなかったけどね!
橋の途中から見下ろせる馬島の写真。
白砂青松っていうのはこういうのを言うんですよね、多分。
こういう景色が見られるのは、自転車で通行できるしまなみ海道だけです。
すごいでしょ?(何が…
●半年振りの四国
四国の地を踏んだことで、もう帰り着いたつもりになっていました。
が、ここでも自分の認識の甘さを思い知らされることになるんです。
「↑松山」という案内に沿って進むこと数十分。
ようやく見つけた標識に書かれていた松山までの距離、なんと
「 44km 」・・・
もう帰ったつもりでいたんですよ?
なのに、あと44kmも・・・。
再び(いや、何度目だろ?)精神的打撃を受けました。
自分の家の近くで「松山7km」だったはずなので、ほぼ50kmある計算になります。
30kmぐらいの心積もりだったので、またペースが急激に落ちました。
岡山を出発したときは、翌日の明け方に家に着くつもりだったんです。
が、このときにはもう無理と分かっていたので、昼までに帰る、という予定に変更しました。
ひたすらこぎました。
ただひたすら・・・。
酷い筋肉痛はないものの、足は限界突破していました。
ものすごくだるく、重いんです。
ただ、動かさないことには前に進めないので、無理してこぎました。
途中、「私はかもめ」という喫茶店で休憩を取りました。
(一体どういう意味がこめられているんだろう?)
ネーミングセンスがいいとは言えそうにありませんが、
風に吹かれる「氷」の看板(というのか?)があまりに魅力的で、
無性に食べたくなったんです。
その衝動は破壊的といってもいいほどで・・・(以下略
安かったハワイアンブルーを注文しました。
合成着色料の塊にしか見えませんでしたが、状況が状況だったのでかなり美味しく感じました。
そして、
バイトのおねーさんを見て、久方ぶりに人間を見た気がしました(笑)
人間が恋しかったんです。あまりにそれまで孤独だったから。
カキ氷は少し心を癒してくれました。
甘かったので、喉の渇きを癒してくれたかどうかは微妙なところですが。
●ライバル、現る
しばらく海沿いの道が続きました。
この辺まで来るとある程度道も分かります。
のんびり行こうと思っていたんです。
海沿いで風が強かったのもあって。
だけど、神様はそれを許してくれませんでした。
そして、実に迷惑な(?)ことに、ライバルを遣わされたんです。
ライバルの年齢はおそらく60前後。白髪混じりの頭に帽子をかぶっていました。
愛車は、こちらと同じく銀のママチャリ。
真っ黒に日焼けしていて、僕と同じく松山方面に向かって進んでいました。
最初、ライバルに出会ったのは上り坂でした。
そのときにはまさか対抗意識を燃やされるとは思いもせず、普通に追い抜いたんです。
が、下り坂になったとき、おじさんが猛スピードで追いかけてくることに気がつきました。
明らかにこちらを意識した速度で(笑
(おっさん、やる気か?)
勝負を挑まれて逃げるわけにはいきません。
それから10km近く競走し続けました。お互いに対抗意識をたぎらせながら。
勝っても何も得られない勝負・・・。
だけど、負けたら男としての誇りが損なわれかねなかったんです(笑)
同じ歩道を通っていては、一方が他方の後ろをついて走るだけになるので
意識して反対側の歩道へと移動した上で進みました。
道路を渡るのに時間がかかるので僕にとって不利でした。
が、まぁそこは若さに物を言わせ、先に進みました。
海沿いは相変わらず暴風が吹き荒れており、酷く疲れました。
でも負けられないという気持ちが強すぎて、
それまで重く自由が利かなかった足も酷使できてしまいました。
おじさんのおかげで時間が短縮できたのは確かですね。
後ろにいるライバルの姿が見えなくなったので、完全に引き離したかな・・・
・・・と思った瞬間に姿が見える。
これが繰り返されました。
ただ、さすがにおじさんもかなりきつかったみたいですね(苦笑)
そのうち、何回後ろを見ても姿を確認できなくなりました。
(よし勝った!!)と心のうちで叫びました
が、これで買ったことにするのも何か釈然としない・・・。
そこで、勝手ながら無断でゴールを決めることにしました。
ちょうど「道の駅まであと1.5km」という標識を見つけたので―。
その1.5kmを死に物狂いでこぎ、ライバルに勝利しました。
この勝利には神様もけちをつけられません。
確固たる勝利です。
ただし、その代償として体力がほとんど失われました(笑)
ほんとその場で倒れてしまいそうでしたよ・・・。
でも、ここで倒れるわけにはいきません。
少し休んだ後、最後の力を振り絞って再び進み始めました。
途中、道端にちょっと座ると意識が飛んだり、
坂道をみて発狂しそうになったりしつつも、ひたすら家に向かってこぎ続けました。
少しずつ、だけど着実に自分の家へと近づいているのを感じました。
松山市に入ってしまうと、もうもはやそこは自分の庭みたいなもんでした。
高校に通っていた昔、幾度と無く通った道を帰りました。
そして終に・・・自分の家の前までたどり着きました。
実は、自転車で帰ったことは親には言っていなかったんですよ。
なぜかというと、単に驚かせたかったから、というだけなんですが。
この旅の目的は、結局のところ家族を驚かせる、ということだけにあったみたいです。
最初から。
さて、どうやって家に入ろうかなぁ・・・なんて考えつつ、
自転車を我が家の駐輪場へ入れました。
へとへと・・・なんてとっくに通り過ぎていたけれど、
何にも変えがたい充足感で一杯でした。
このときには知らなかったけれど、
岡山から尾道まで70km
尾道から今治まで80km
今治から自宅まで50km
計200kmを自転車で帰ったことになります。
・・・よくやったよなぁ・・・。
かけた時間は休憩含め、22時間。
ほぼ不眠不休でした。
非常に長くなってしまいましたが、家にたどり着くまで書き記しました。
日本語として変な箇所や、読みにくい箇所は多々あると思いますが、ご容赦願います。
後日談は、気が向いたら書きます。