なぜか病院の医局には漫画雑誌がたくさん置いてあるので、当直の合間にパラパラ読んでいます。
最近、面白いなと思うのが「チ。 ―地球の運動について―」という漫画。
地動説について探求する研究者たちと異端審問官の話です。
中世のヨーロッパが舞台ながら、そこに描かれる構図は現代の風刺とも読めます。
テレビとかでは割と話題になっているみたいだけど、周りに好きそうな人もいないので本当に人気なのかよく分かりません。
今日読んだ最新話がまあもうひどい話で・・・
倫理にもとる仕事はしてはならないということと、常日頃から子供には優しくしないといけないということをしみじみ思いました。
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高校の時に、東大に行って政治家になると息巻いていたやつに
「医学部に行っても最終的に田舎で老人相手にほそぼそと働くだけだろ?そんなんでいいの?」と言われ
「それで十分だと思っている」と答えたことを今でもはっきり覚えています。
その気持ちは今でも変わらず、実際そういう生活をしています。
良くも悪くも現代っ子だったので、出世欲はありません。
手術の上手さで出世してやるとか、高難易度手術をばんばんこなしてやるというような野望もありません。
技術的には正直まだまだなんですが、それなりの手術を家の近くの病院で受けたいという需要にはマッチしているかなとは思っています。
昔から自分の中身は何も変わっていないように自分では思っているんですが、これは普通なんでしょうか?
単純な加齢や何かのイベントを契機に自分は変わったなと皆思いながら生きているんでしょうか?
自分の中のどうしようもない腐りきっているところは全く改善のないままですが、いいところも多分変わっていません。
ちなみに、老人相手に医者なんかといっていたそいつは東大を中退して医者になったのち、
働きなれた地元を飛び出し、都会の有名病院に飛び込んで日々研鑽を積んでいます。
そういうところは偉いと思います。ストレスは当然大きいし、給料的にも実は都会の病院ほど少ないですしね。
そいつと自分の生き方を比較してみても、変わるのは表面的なところだけで芯になる部分はそんなに変わらないんだろうなと思うわけです。
今後どうやって生きていくのかある程度自由の利く職種だけに、意志薄弱な自分は将来像がうまく描けません。
「志願者はあまりいないようですが、やってくれる人はいませんか?」
みんなが敬遠しがちなことを頑張ってやってみようというのは、僕が今外科に籍を置いている大きな理由です。
何かに秀でた能力があるわけではないから、マンパワーとして医療全体に貢献することが自分の存在意義かと割と本気で考えています。
だから、「やらなくていいよ。やりたいの?」と聞かれたら、なんと答えていいか分からなくなります。
まあ、少なくとも今いる環境は明らかに外科医不足なので、とてもやらなくていいなんてことにはならないんですが。
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最近もっぱら気になることは日本光電の手術時のモニターの経皮的動脈酸素飽和度 100%のときの音はソ(G)でいいのかということです。
1%ごとに全音変わるのならわかりやすいけど、100に近づくと全音、離れると半音程度変わっているような気がします。
数字毎の音を記憶していればモニター見なくても数値が分かるじゃん・・と少し前から覚えようとしているのですが、なかなかできません。
趣味を仕事に活用するのって難しいですね。笑