風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

もはやボウズではない

2009-11-21 23:04:28 | Weblog
ツルゲーネフの初恋を読みました。

・・という書き出しでタイトルを「初恋」にしようかと思ったけど
「釣り」としてはベタ過ぎると思い直してやめました。
読んだのは事実だけど。

どうせ釣るなら純朴なブログ読者よりも魚のほうがいいだろうと思い、
新岡山港に釣りに行ってきました。


実は、岡山の海ではまだ一匹も釣ったことがありませんでした。
それ以前に「あたり」を感じたことすらありません。
岡山では、外道の王様クサフグを釣ったことすらありません。
ボウズ(=釣果0)以外の釣りを経験したことが無かったんです。

行ってもまったく釣れないと面白くないもので、最近は足が遠のいていました。
魚にしろ女の子にしろ、つれないのはつらいものです。


今日もやっぱり釣れませんでした。
どうやら僕は魚に徹底的に嫌われているようです。

一方、その近辺を走り回っていた4、5歳の女の子には妙に懐かれました(笑
隣に家族で釣りに来ている人がいたんですが、そこの娘さんのようでした。

「でっかいハゼとかアナゴが釣れたよー」

「あんなハゼやだー」

「そこ座ったら黒くなるよ・・・(指でごしごし)・・・ほらね?」

僕は子供は好きだし(もちろん変な意味でなく)、
積極的に話しかけてくれるので構ってあげたかったんですが、
少し離れたところに居たお父さんに変な目で見られると嫌なので自重しました(笑

実際ちょっと視線が痛かったんですよね・・・何にもしてないですってば。



今日もダメかと半ばあきらめて、立てたままにしていた竿のリールを巻いて行くと
あれ、アオムシが見えるべき位置に何かある・・



大きさは10cm前後でした。
ん・・なんかの稚魚?と思ってリリースしました。

後で考えて、これが話に聞くイシモチなんだろうと推測しました。
帰ってから調べてみましたが、やはりそのようです。
正式にはシログチとも呼ばれるこの魚は、見た目どおり白身の魚で味も淡白。
傷みやすいのであまり市場には流通しないのだとか。
大きくなれば25cmを越えて最大40cm近くまでなるそうです。

結局、今日の釣果はイシモチ2匹でした。(初のボウズ逃れ 笑)
小さかったので両方リリースしましたが、今思えば持って帰っても良かったかも。
あの場所で釣れるサイズとしてはわりと標準的かもしれないし。


ちなみに、シログチのグチとは「愚痴」なんだとか。
「愚痴」なんて名前を付けられるのもなんか可愛そう・・。


追記

僕の坊主頭ももはや過去のものとなりました。

記憶の上書き

2009-11-20 00:19:51 | Weblog
ことの発端は去年の冬の野郎鍋。

例年のように鍋の具材ではないものを集め、ごった煮しました。
嘔気に耐えながら見るも無残な食材たちを口に運んだ経験は、
忘れようと思ってもなかなか忘れられるものではありません。

あれはT先生のおっしゃるとおり「食への冒涜」です。


酷い組み合わせは多々ありましたが、
個人的には、クリームシチューのルウとままかり酢漬けの組み合わせが最悪でした。

ままかりとは岡山の名物で、正式にはサッパと言う名前のニシンの仲間です。
『「飯借り」と書き、「飯が進み、家で炊いた分を食べ切ってしまってもまだ足らず
隣の家から飯を借りてこなければならないほど旨い」に由来する呼称』(wikiより引用)
なんだそうですが、僕にとっては「飯貸し」としか思えない魚です。
(もちろん、まともな調理法で食べれば美味しいはずですが)

あれ以来、口にする全てのクリームシチューに
ママカリが入っているような気がして若干気持ち悪くなってしまうんです(苦笑

1年経ってなお引きずるってなかなかのものでしょ?


これではいけないと思い、このトラウマの払拭を試みました。


【材料】

●市販のシチュールウ(あの夜と同じもの)
●鮭切り身
●ブロッコリー
●メークイン
●タマネギ
●牛乳

鮭を使ったのは、あえて白身のサッパリした魚を使えば
いい方向へシフトチェンジするのではないかと思ったから。
作り方はパッケージにあるとおりにしました。
材料がデフォルトのものとは違うだけです。

余談ですが、Hッピータウンで売られていた「メークイン」はどこから見ても男爵でした。



一緒にライ麦のパンを焼いてみました。
 
色々煮崩れしてしまい、
この写真ではおいしそうではありませんが、
ほどよく塩が効いて風味も増し、意外と美味しかったです。
予想通り、クラムチャウダーと少し似た味になりました。
とりあえずは成功です。

(海産物が好きで、パッケージどおりの調理に飽きた人は是非試してみてください)

問題は今後どうなるか。
シチューは美味しいものだと記憶の上書きができていたら御の字なんだけど。

今日もまた一人酒

2009-11-18 21:58:12 | Weblog
己とはタマネギだと思う。

どこまでが外側でどこからが内側か明確にできない構造。
まるでそれは、幾重にもわたるペルソナの集合。
ただし、それは綺麗な層構造をなすのではなく、互いに他を排斥しあう。

亀山郁夫はデスノートを読んで現代に息づくドストエフスキー・・・
ラスコーリニコフを感じ取ったという。
僕は個人的にはルルーシュのほうがラスコーリニコフ的だと思うけど、まぁ似たりよったりか。

昨日見たその番組の中で、ロシア人の気持ちを分かるには
ウォッカを飲まなければならないといっていたので、今割って飲んでいます。
罪と罰のあらすじ説明のBGMが悲愴の4楽章だったのが印象的でした。

最近、やや躁寄りです。
ブログの更新頻度が高くなるときは概してそういう気分なんですが。
自分から人に話しかけたくなるなんてどうしてしまったことやら。
 
タマネギなんてウォッカに溶けてなくなってしまえ。

ドーナツ

2009-11-17 00:09:43 | Weblog
ドーナツの本質は、中心の「無」。

しゃれた考えかただし、面白いとも思うけど、
本当にそう考える人っているんだろうか。
現実的な自分としてはしっくり来ない。

そういう考え方をする人にとっては、
中心の穴の大きさが全く同じであれば、実質の量は関係ないんだろうか。

そんな疑問を投げかけてみたら、彼らは何て答えるだろう。
中心の「無」と実質との比率が重要だと言うかもしれない。
あるいは、これはもっと形而上学的な問題なんだと言って怒るかもしれない。

もしドーナツの本質が無にあるなら、
僕の好きなあんドーナツは、永遠に穴あきドーナツに勝てない。

そもそも、彼らにしてみれば、穴も開いていないくせに
ドーナツと名乗るあんドーナツ一派は許せない存在なのかもしれない。



・・こんなとりとめの無いことを考えるのもちょっと楽しい。


シフゾウ

2009-11-15 00:22:48 | Weblog
「シフゾウ」というのは実在する動物だって知ってました?
 
あの漫画では「飛ばぬおぬしなどただのカバ」などと言われてはいますが、
実在する「シフゾウ」は飛べません。
もちろん「ただのカバ」ではありませんが、「エロいカバ」でもありません。
「ゾウ」といいつつも、
牛のような蹄を持ち、馬のような顔をして、ロバのような尾を持った、鹿なんだそうです。
(詳しくはwiki参照。画像もそこにあります。)


しかし、なんでこれが神獣(霊獣)なんだ・・?

雨の日の内省

2009-11-14 02:04:40 | Weblog
病室を訪ねたとき、攻殻機動隊を見ていた彼を見て思ったんです。
一体彼と自分では何が違うのかって。


僕が彼の年のとき、僕は好き勝手なことばかりしていました。
今も好き勝手しているようなものですが、現在の彼にはその自由すらありません。
彼に自由が許されているとしても、それはかなり限定的なものです。

大学病院でないと今後扱うことは無いような珍しい病気。
有効な治療法は確立されていません。
そういう状況にあって、彼は5年生存率が何十%という世界を生きぬかなければなりません。

手元には彼がこれから行う治療に関する報告がありますが、
現実は冷酷で、シビアな結果しか書かれていません。
そんな成功率の低い治療を、今、行っています。



考えたんです。彼と自分の違いはどこにあるのか。



・・運。

やはりこれに尽きます。


僕は彼のことをかわいそうだと思う。
それは上から目線の感覚。
見られた側を傷つけるいわゆる同情と呼ばれるもの。
だけど、それは自然な心の働き。
その感情を抑えることができたとしても、そういう感情を持ったという時点でほぼ同罪。
だとしたら、そういった「自然な感情」を抑えることに意味は無いんじゃないかと思うんです。


世の中には、そういう人たちに対して
「前世で何か罪を犯したんじゃないか?」というようなことを言う人が居ます。
(実際にそういう経験をしました)

その発言がどれだけ残酷か、言った人は気づかないんでしょうね。

僕がそう思うのは生まれ変わりを信じていないからなのかもしれませんが、
少なくともそういう人間に対して言う言葉としては、あまりに配慮を欠いています。


上から目線とか同情とか考えたときに、必ず思い起こすのはマズローの欲求階層説。

僕らが生きていて生じる様々な苦しみや悩みは、
生と死の瀬戸際に立たされている人たちからすれば
「贅沢な苦しみ」あるいは「贅沢な悩み」となるんでしょう。

彼らはそういう苦しみを味わいたいと思っても、それすらできません。
まずは生きなければならないから。
死んでしまってはそういう段階に達することができないから。

彼らを前にすると、自分が持っている悩みなどの
「程度の低さ」と「階級の高さ」をしみじみと感じます。


そして、僕がこういうことを考えていることは、彼らには知られたくありません。
このような上からの視点は彼らをひどく傷つけてしまう恐れがあるから。

それでもやはり、かわいそうだという感情は拭えないんです。


本人には何の過失も無く、ただ確率の問題にすぎないのに。
僕が彼らの状況になかった保障など、どこにもないのに。


僕は「他人事」という言葉が大嫌いです。
なぜなら、こういうことを考え始めると、
「それらは結局は他人事」と処理しようとする無意識の圧力を感じ、
最後には屈してしまうから。
自分がその状況になくてよかったという醜い自己愛を感じるから。


全ての生物は利己的である。
分かっていますが、どこかで受け入れがたいものがあります。

 

年齢の近い患者さんを相手にすると、このような「贅沢な苦悩」が生じます。

何が問題かというと、この苦悩が年齢の近い患者さん限定であるということ。
つまり、年の離れた患者さんの苦しみは、僕にとっては他人事でしかないわけです。


想像力が無いからとはいえ、アンフェアでしょ?

秋の夜長に?

2009-11-13 01:08:18 | Weblog
ゲームのデータを「破損」させてしまいました。

上書きしたことは数知れないけれど、破損させてしまったのは初めて。
・・・なんだろう、このもやもやした哀しさ。

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最近読んだ本(小説)を3冊書いてみます。画像はamazonにリンクしてます。
例によって長いのでパソコン推奨。

●Story Seller




売り文句は「これぞ「物語」のドリームチーム。
日本のエンターテインメント界を代表する7人が、読み切り小説で競演!
短編並の長さで読み応えは長編並、という作品がズラリと並びました。」


色んな作家の小説が読めるという点ではいいと思います。
それぞれの持ち味が一層際立ちます。
ただ、自分について言えば、これを読んで
その人の他の作品を探しに行こうとまではなりませんでした。

まぁ、これは好みの問題ですね。
とりあえず最近の作家の小説を読んでみたいと思ったらいいかも。


●世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド




家にあった文庫本を引っ張り出してきて読みました。
多分、読み返したのはこれで3度目。
なのにびっくりするくらい覚えていない・・

改めてよくできた小説だなぁとしみじみ思いました。
色々感じるところはあるんだけど、
これについて書き出したら長くなるし、まとまらないのでやめます。

「『カラマーゾフの兄弟』の兄弟の名前をぜんぶ言える人間がいったい世間に何人いるだろう?」
以前のコメントはこれの引用だったんですね・・・気づきませんでした。>Kenkichiさん

カラマーゾフを読んだことで、この本の味わいが増したのは間違いないところです。

「しかしそれを読んだとき僕はかなり疑問に思った。
とても不幸な人生を総体として祝福することは可能だろうかってね」


ふと思ったんですが、僕は村上春樹の影響を受けすぎました。


●文豪怪談傑作選 太宰治集 哀蚊




生誕100周年だろうが、映画化だろうがそんなことは関係ないんです。
いいものはいい。それでいいじゃないですか。

文庫コーナー2週目にふと目に付いたので買ってみました。

もともと小さい頃から「怖い話」は大好きです。
(児童文学において怖い話は1つのカテゴリーなのに、大人向けの小説にはあまり無いよね?)
太宰の語る怪談ってどんなものなんだろうと思って、読み始めました。

が。中身はいわゆる怪談ではありませんでした。
編集者がどういう基準で選んできたのかは知らないけれど、
少なくとも一般的な意味での怪談じゃないものがほとんどでした。
(中には雨月物語的なのもありましたけどね)

でもまぁ、楽しめました。

中でも、太宰版浦島太郎が面白かったです。
以前ここの記事で乙姫腹黒説を検討しましたが、
同じようなことはちゃんと先人が考えているものですね。


昔から、太宰の小説はあまり読みたいと思いません。(というか実際読んでいません)
主人公を蔑みながら「お前人のこと言えるのか」のような気持ちが湧いてくるからだろうなと思います。
でも昔よりもなんか分かるようになってきた気がするんですよね。
・・年取ったってことなのかなぁ(笑


太宰については疑問が1つあります。

どうして太宰は女性に人気があるんでしょうか。
乱暴な言い方をすれば、多くは駄目な男が出てきて期待通りの行動をする話でしょう?
そういう話を女性が好むのが不思議です。

アムロやシンジは女性に人気が無いという話じゃないですか。
それは頼りなかったり子供っぽかったりするからだと聞いたことがあります。

太宰の小説の登場人物も同じじゃ・・?



日本人は、概して、ロシア自体はあまり好きでないくせに、ロシア文学は大好きなんだとか。
僕もどうやらそうみたいです。
まだ読んだことのない日本の近代文学はいくらでもありますが、
こんどは「初恋」か「アンナ・カレーニナ」あたりに手を出してみようかな。

こういう内容の本ばかり読むのもなんか哀しいけど、
世界的な名著なんだから、一生に一度くらいは読んでおいて損は無いはず・・


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最後に全く関係ない話をしますが、 
この前の新聞に化物語のライトノベルの批評が載っていました。
内容(最近のライトノベルにおける「キャラ」について)はさておき、批評しているのは斎藤環でした。

この人、もう精神科医の肩書きは捨ててそっちの道の専門家になればいいのに。