「自分がどんな死に方をするかなんて、考えたこともないよ。
そんなこととても考えられないよ。
だってどんな生き方をするかもまだぜんぜんわかってないのにさ」
三宅さんはうなずいた。
「それはそうや。でもな、死に方から逆に導かれる生き方というものもある」
「それが三宅さんの生き方なの?」 「わからん。ときにはそう思えることもある」
村上春樹「アイロンのある風景」
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キャンプのたびに焚火をしています。
妻や子供が寝た後に一人でお酒を飲みながら、ただぼんやりと火を眺めて過ごします。
村上春樹に焚火が出てくる短編があったはずなんだけど、なんだっけなーともやもやしていました。
調べてみて「神の子どもたちはみな踊る」にある「アイロンのある風景」だったと分かりました。
この短編集はすべて阪神淡路大震災に関連した話になっています。
どの話も暗く読むのにエネルギーがいる本だったので、ほとんど読み返すこともありませんでした。
いざ読もうと思うと見当たらず、文庫本を買いなおしました。
読み返してみて、ああこれは大人が読む本だなと思いました。
20歳そこそこの学生には話が沁みなかったのも仕方ない。
いつものようによく分からないプロットは多いし、
面白いかと言われると答えるのが難しいけれど、2回読み直してしまいました。
ざらりとした読後感があり、それが何かを確かめるためにもう一度読みました。
昔は死はまだまだ縁遠いものでした。
でも、あれから東日本大震災も起こりました。
僕自身も年を取りました。
孤独がどういうものか、最近少し分かってきたように思います。
死が規定する生き方は確かにあると思います。
でもそれは事実としてそうであるというだけで、
だからどうしなければいけないとか、どうしておいた方が望ましい、というような話ではないように思います。
それもなんだ不思議な気がするんですが、今の僕はそういう風に感じています。