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2020.4.13『湯ノ沢山』(632m)  年間100回登山20年連続達成!

 三笠スキー場の向かい側に、

魅力的な尾根を連ならせた山がある。

見ていると登行意欲がわく。

それを地形図で調べてみると、

その奥に三等三角点を有する「奔別沢」(632m)があることを知った。

それで登ってみることにした。

ただその時点で「632m峰」に『湯ノ沢山』、

と言う名が付けられていることを知らなかった。

 日曜の朝「三笠スキー場」近くで目覚めると、

なんだかやけに寒いし、

先日シュラフを冬用から3シーズン用に替えたものだから、

正直寒くてよく眠れなかった。

朝温度計を確認すると-3℃。

ちょっと前までは車中泊の朝起きると、

常に-10℃を下回っていたものだ。

それが-3℃でもずいぶん寒く感じる。

体が既にあったかモードになってしまっている。

 6時40分、国道の「白亜トンネル」三笠側から、

東の急斜面に取り付いた。

笹の薄いところを狙って笹につかまりながら登り、

尾根の頭に上がると笹が濃くなった。

こんな調子で進むのなら遠いピークになりそうだとの予感。

ところがそんな笹漕ぎで数十メートルほど進んで驚いた。

突然笹が切れてその他の下草もほとんどない。

これは歩きやすい!

ただエゾシカのフンはここでもひどい状態で、

足の踏み場もないところが次々に現れる。

しかしここのフンは全てカラカラに干からびて、

ウェット感がない分汚さも半減されて他所よりマシだ。

 まだ木々に葉がない晴天の落葉樹の広い尾根を登っていくのは、

まるで11月の小春日和を思わせる。

そして公園の中を歩いているような気にさえなる。

とにかく気持ちよくてHiromiと、

「気持ちいいなあ」を連発しながら進んだ。

またこの気持ちの良い尾根は、

斜度があるためどんどん高度を上げて行く。

木の間越しに見える麓の風景に高度感を感ずる。

それに尾根は一貫して木の間越しの風景を隠すことなく、

常に西側となる三笠市の風景を目にしながら進むことになる。

広く気持ちの良い尾根はCo.450辺りから笹が出てきて、

漕ぐような場面も現れたが、

そんなに濃いわけではないので、まあ無難に越えて行く。

そして雪渓が現れ出すので歩きやすくてホッとする。

 地形図上で「541m」標高点が記載されているが、

この登りがルート中の最難関だ。

目の前に壁のように現れたこのピークを超えるには、

一旦南側に回って南北に走る尾根にのらなくてはならない。

その尾根にのってから「541mP」までの笹が濃く、

背丈も高いのでHiromiが苦労した。

体重の軽いHiromiは強引に笹を漕ぐことが難しい。

8時40分、なんとか踏ん張って、

倒木が重なり合う「541mP」。

ここから「奔別沢」が見えている。

そしてこの高さまで登るとかなり雪が残っており、

楽に進むことができる。

最後は濃くて頑強な笹の上に残った雪渓を伝って、

8時55分、三等三角点「奔別沢」

Hiromiが細い雪渓の上を歩いてちょっと先まで進み、

振り返って叫んだ。

「標識あるーっ!」

Hiromiが見ている方に目をやると、

なんと『三笠湯ノ沢山』と書かれてた標識が、

三角点のすぐ脇の木に付けられていた。

この三角点にそんな名がつけられていたことを、

この時初めて知った。

しかもこの標識は真新しい上に位置が高いため、

今冬付けられたものだと推測した。

そんな標識を目にすると益々満たされた気持ちになるもので、

Hiromiと二人満足感いっぱいで下山を開始した。

ぼ登路と同じルートをたどって下り、

10時30分駐車地。

スキー場の広い駐車場に移動して片付けていると、

いましたこの日もダニが。

 この日の山登りが私にとって今年100回目となった。

今年は新型コロナウィルスの影響で休みが多いため、

異常に速いペースで回を重ねてきた。

それと同時に年間100回以上の山登りを、

これで20年連続で継続したことになる。

2000年に年間100回登山に挑戦したが、

94回で終わってしまった。

それで100回登るためにはよほど腹をくくって、

真剣に取り組まねばならないと心した。

そして「時間があれば登る。チャンスがあれば登る。

とにかく登る、登る! 登る!!」を実践してきた。

ただこういうことをやってこられたのも、

今は亡き母親が強靭な肉体を与えてくれたからこそ。

あらためて母親には心より感謝する。

 

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